「あの、乗り換えの時、時間がかかるので」
女性は、沙織をじっと見て、
「そうなんだね」とだけ言った。
沙織を批判しているわけではなく、率直な性格なだけのようだった。
女性は、いくつかの路線が交差するターミナル駅で、手を振りながら降りていった。何度目かに会ったとき、名刺をもらった。
新藤優子という名前で、化粧品販売会社の支店長だった。
名前を知っても、美知は優子さんをブキさんと呼んでいた。優子さんは別にそれを気にしていないようだった。
ブキさんは、電車で美知を見つけると、いつも女の生き方について講釈する。美知はその話の半分も理解できていないはずだが、頷きながら真剣に聞いている。その姿が、沙織には微笑ましかった。
美知は、ブキさんの香水の匂いが好きらしい。
ブキさんは、美知に頬ずりして、いつもの乗り換えのターミナル駅で降りていった。
美知が、乗客が降りた一瞬の間に、リュックから青色の折り紙を出した。
美知にはもう一人、お別れを言いたい友だちがいるのだ。
それが、ブキさんと入れ替わりに乗ってきたマサオ君だ。
頭にタオルを巻いて、建設会社のロゴの入った上着を着たマサオ君は、不機嫌そうな顔をして目つきが悪い。さらに体がでかい。頭一つ分ほかの客から突き出ている。
沙織も美知もマサオ君の本名を聞いたことはない。美知が彼のことをマサオ君と呼ぶようになった。マサオ君は無口でほとんど話をしない。
マサオ君が沙織と美知のいる場所まで移動してきた。それから、いつものように、両足を少し開いて、その間に美知を置いて庇うような態勢になった。
美知が、ポケットから出した折り紙をマサオ君に渡す。マサオ君は中を見ずに、上着のポケットにしまった。
美知が上を向いて、「ありがとうございました」と言うと、マサオ君は、じっと美知の顔を見て「今日で終わり?」と言った。美知が頷くと、マサオ君は不機嫌そうな顔の中に少し淋しそうな表情を見せた。
沙織が「いままでありがとうございました」と言うと、マサオ君は少し照れたようにうつむいた。
マサオ君と美知の出会いは最悪だった。
確か冬の寒い日だったと沙織は記憶している。着膨れする冬は、電車が余計混み合っているように感じる。
電車が大きく揺れ、後ろの乗客に押された美知が、大柄な男の脚に顔からぶつかったことがあった。
男が振り返って睨んできたので、美知はおでこを押さえながら、沙織の後ろに隠れた。