真ん中の小さい女の子は美知で、片方の髪の短いスカートの女が沙織で、反対側で手をつないだ、目がパッチリして赤い口で、四角い肩のパンツスーツの女性が、ブキさんなのだろう。
「泣いちゃだめだよ」美知がブキさんに言った。「涙は女の武器なんでしょ」
周りの乗客が、振り返って美知を見た。その言葉は、沙織と美知がブキさんに初めて会った日、ブキさんが美知に言った言葉だった。
夏の暑い日だった。
電車の中で、乗降客に美知の亀のお守りが引っ張られ、紐が切れてしまったことがあった。美知は気づいて急いで拾おうとしたが、間に合わず踏まれてしまった。
そのとき、美知は「だめー」とおおきな声で叫び、声に驚いた周りの乗客が一斉に美知のほうを見た。沙織が踏まれてつぶれた亀を拾うと、踏んだ乗客は不機嫌そうに沙織を睨んだ。さらに、子どもなんか乗せんなよと言う声も小さく聞こえてきた。沙織は、すいませんと誰にでもなく頭を下げた。
美知が踏まれて汚れた亀を見て泣きそうになっていた。
そのときふいに「泣かないのよ」という声がすぐ横から聞こえた。
沙織が声のほうに顔を向けると、香水の匂いがいきなり鼻をついた。そこには派手な化粧の四十前後に見える女性が美知を見つめていた。
女性は、美知に、
「涙は女の武器なんだから」と冗談なのか本気なのかわからない顔で言った。
周りの乗客がちらちらと女性を盗み見ていた。美知はなぜか、女性の言葉に頷いていた。
「あなた賢いわね」と女性は美知に笑顔を見せた。
美知は多分、女性の雰囲気に気おされて頷いただけだと沙織は思った。
しかし、沙織は悲しい気持ちだったはずなのに、女性と美知のやり取りを聞いて、なぜか明るい気持ちになっている自分に気づいた。美知もいつの間にか女性に微笑んでいる。
「あなた、なんで子供連れてこんな電車に乗ってるのよ」
女性の言葉は、沙織を批判しているように聞こえた。
「あの、会社の保育所に娘を預けてるんです」
「近所に預けるとこないの」
「すぐには入れなくて」
「待機児童ってやつ?」
「はい」
「大変だね。女性専用車両は?」
女性専用車両のほうが子供の負担にならないだろうと、暗に言っているのだった。