美知が沙織を見た。沙織は男性を見た。
男性は沙織に「構いませんよね」と笑顔で言った。
沙織が美知を見ると、美知は「ありがとう」と言って、亀を持ち上げた。
「えらいね、ちゃんとお礼が言えるんだ」と男性は目を細めた。
「昔、娘によく作ったんですよ。今はもう独立して働いてますけど」
見ると亀の頭をなでている美知の表情がさっきまでと違って、穏やかになっていた。亀には紐がついていてぶら下げられるようになっている。
「同じ駅から乗ってるんですけど、たまにお見かけして、子供なのに何だか辛そうな顔をしてるので、何か出来ないかなと思いまして、おせっかいだったもしれないんですけど」
沙織は、出来れば頭を下げたかったが、横も後ろもぴったり人にくっついていたので、本当にありがとうございます、と頷くような仕草で顔を上下させた。
帰りの電車の中で、美知がフェルトの亀を、リュックにぶら下げているのを見て、沙織は、もう少し美知との通勤を続けてみようと思った。
美知は次の日から、ホームで亀の男性を見つけると手を振るようになった。近くにいるときは「おはようございます」とあいさつもするようになった。
美知は男性を、亀のおじさんと呼ぶようになり、今はそれを縮めて亀さんと呼んでいる。
混んだ電車の中で、隣り合わせになったときは、主に美知が昨日あったことなどを一生懸命話している。
亀さんは、にこにこしながら美知の話を聞いてくれるのだ。
大げさかもしれないが、あの日、亀さんこと高山さんと出会わなかったら、沙織と美知の人生は随分違ったものになっていたかもしれないと沙織は思っている。
電車が三つ目の駅に着いた。都心に向かう乗客が乗り込んでくる。美知は背伸びして、乗ってくる乗客の顔を見ている。
この駅から、二人目の友だちが乗ってくるはずだった。
探すまでもなく、美知が、ブキさんと呼ぶ女性の姿はすぐに見つかった。向こうも沙織と目が合うと、ぐいぐいと周りの乗客を押し退けて近づいてきた。
ブキさんは、沙織に笑顔を向けたあと、
「おはよう、美知」と美知の頭を撫でた。
美知は、いつの間にか手に持っていた折りたたんだピンクの折り紙を、ブキさんに差し出した。
ブキさんが、ん? と受け取ると、美知は「ありがとうございました」と言った。
ブキさんは一瞬考え、「そっか、今日が最後なんだ」とピンクの折り紙をじっと見た。それから「開けてもいいの」と言いながら紙を開き、その紙をじっと見てから、美知を見た。ブキさんの目には涙が溜まっていた。
沙織が、ブキさんの手の中の折り紙を覗くと、そこには、手をつないだ三人の人間が描いてあった。