「ねえ、実際どうだったんですか?」
歌うように語りかけてみる。決して返ってこない遺影からの答えに耳を澄ましていると、突然携帯電話が音をたて、記憶の中の半身も現実に引き戻されてしまった。おどかさないでよ、と呟きながら相手も確認せず電話に出る。多分、由希からだろう。
「もしもし、母さん? 私。今、やっと着いたわよ」予想は当たった。
「あ、そう。結構時間かかっちゃったわねえ」
「うん。道、混んでたの」
夫の遺影を見ながら、由希の声を聞くのは妙な感じがする。それを伝えようかと思うが、やはりやめておいた。娘に余計な心配をかけたくはない。
「あと、家のこと、ちゃんと考えといてよ」
「家?」
「同居のことよ。ど・う・きょ」
分かってるわよ、とわざと面倒くさそうに返事をしながら、竹子は夫の遺影を見つめている。
少々不完全だけれども、家族三人、一緒にいるのよね。
そう思うと、胸が詰まり、言葉も詰まった。敏感に察した由希が不安そうに尋ねる。
「どうしたの? 母さん、大丈夫?」
「うん。ちょっとね、眠くなっちゃった」
なあんだ、と安心したような笑い声が聞こえ、「ちゃんと布団敷かなきゃダメよ」と電話は切れた。
喋り終わった後の静寂は深い。竹子は電話を持ったまま全身の力を抜き、家族の余韻にもたれかかった。
しあわせだ、と布団に横たわりながら実感する。
さっきまで記憶と戯れていたせいで、どうやら頭が冴えてしまったらしい。なかなか眠れない。でも、そんなちっぽけな悩みは空気の抜けたボールみたく、たいして弾みもせずに動きを止める。私はしあわせだ。
娘夫婦に優しくしてもらい、月に何度かは可愛い孫の顔も見れる。自分と同年代で、あれだけ熱心に同居を勧めてもらえる人がいったいどれくらいいるというのだろう。
考えるのは僅かな間で充分だ。そんなに難しい問いかけではない。やっぱり、私はしあわせだ。そしてしあわせであるからこそ、あまり抵抗がないまま、老いていく自分を受け入れられる。
人はすぐしあわせに慣れてしまう、と竹子は知っている。慣れるだけではない。もっともっとと欲張ってしまい、その結果満たされた状態を自分で壊してしまう。人は、そういう生き物だ。
しかし六十代も半ばに差し掛かった今、欲張る力の衰えを竹子は強く実感している。若い頃には予想もできなかった感覚だ。歳を重ねて慎み深くなったわけではない。中にはそういう人もいるだろうけど、私は違う。そんなに美しく、立派な理由ではない。ただ単純に衰えただけだ。だから、由希たちとの同居にさえ二の足を踏んでいる。