9月期優秀作品
『淡いピンク』寅間心閑
静かにエレベーターは動き出す。
ガクンという音を一瞬たてはするが、それは自分の咳払いよりも小さい。静寂は移動している間も保たれていて、一階から三階への十秒弱が所在無く感じられるほどだ。
ぴったりと元の場所へ納まるように三階で停止するたび、本当はここが最上階なんじゃないかしらと竹子は思う。六階まである停止ボタンはただの飾りで、実際は三階までしかないのでは、と。
それほど滑らかに、軋みや揺れを感じさせもせず、エレベーターは止まる。そして、四年経ってもその円滑さに身体は慣れてくれない。
部屋は玄関先から全て見渡せる。カーテンの隙間から洩れる外光だけで、七畳半のワンルームは充分に明るい。靴を脱ぎながら竹子はふと気付いた。掌の上に載りそうなほど小さなスニーカーが、片方だけ狭い玄関に転がっている。淡いピンクのスニーカー。
まるでお菓子みたいだと、数秒あてどのない視線を注いでいたが、すぐにバッグから携帯電話を取り出し、娘の由希にかけてみる。
「母さんどうしたの? 何かあった? 大丈夫?」
「ううん、違うのよ。なっちゃんの靴、忘れてったでしょ」
「え? 靴?」
少しの間があり「本当だわ、いやぁねぇ」と由希は笑った。昔と変わらぬ笑い声に竹子もつられる。さっきまで一緒にいたのに本当、不思議だ。声だけ聞いていると、まだ子どものままのような気がしてしまう。
「じゃあまた来週にでも取りに行くわ」
「いいわよ、そんなに慌てなくても」
他愛ない親子の会話。これも昔と変わらない。本当はまだ話していたかったが、竹子は自分から話を切り上げた。
「お嬢様の靴は大切にお預かりしておきますからね。どうぞご心配なく。いついらして頂いても構いませんことよ」
そんな風におどけるのが一番いい。バカね、と笑ってすぐに切れる。
「シンヤさんにもよろしく伝えてね」
「はぁい。パパ、母さんがよろしくって」
「あ、今日はお世話になりました」
運転席でハンドルを握る娘の旦那の声と、チャイルドシートに座る孫娘の「バイバイ」が重なる。電話を切っても竹子の顔にはしばらく微笑みが残っていた。
そろそろ折れる時期かもね――。
そう思う瞬間が最近増えてきた。ここ二年ほど、ずっと同居を打診されている。