「俺は君に、子供たちの母親になって欲しいわけじゃない」
その言葉が聡子の心を傷つけたことに、気づいてさえいなかった。
もう会えないと言われたその夜、竹野を付き合わせて朝まで飲み明かした。
「それは聡子ちゃんに、母親にはさせないと言っているようなものだろう」
竹野に言われて、はっとした。
「俺は、そういうつもりで言ったんじゃない。ただ、子供たちの世話をしてくれる女性を探しているわけじゃなくて、聡子を一人の女性として大切にしたいってことだろ」
「言いたいことはわかるよ。でも、そうは受け取らない」
その翌日、私は麻衣子と仁志を送り出したあと、すぐに聡子のアパートへ向かった。途中で会社に電話を入れ、風邪を引いたと嘘をついた。嫌がる聡子を無理やり連れ出した。聡子を失いたくないという一心だった。会社に知られたとしても、かまわないと思った。聡子を助手席に乗せ、一日中車を走らせた。
七年も前の出来事なのに、あのときの光景が鮮明によみがえる。夜にたどり着いた海岸で、私は聡子に伝える言葉を選べずにいた。
本当に別れたいと思っているのか。そう尋ねるつもりで「聡子はどうしたい?」と言ったとき、聡子は考える間もなく「花火がしたい」と言った。
夏はとっくに終わっていた。花火を売っている店も、近くには見つけられそうになかった。それでもなんとかしなければならないと、花火を買いに行こうと提案した。そのとき聡子は一人で海岸に残ると言った。
「花火はもう売っていないかもしれない」
「そのときは諦めるわ」
もしも花火を買えなければ、聡子とやり直すことは難しいとわかっていた。人通りの少ない夜道を運転しながら、置いて来た聡子のことばかり気になっていた。
「このまま迎えに来てくれないのかもしれないって思ったわ。途中で、開き直っちゃうんじゃないかって心配していたのよ」
花火を買って戻ると、聡子は砂浜にしゃがみこんで、木の枝で文字を描いていた。
「八月に、迷子犬が急増するんですって」
「どうして?」
「花火大会の音に驚いて逃げ出すからよ」
「なるほどな」
「私は迷子にならなくてよかった。でも、何か所も蚊に刺されたわ。蚊がいるのは、夏だけじゃないのね」
あんなときでさえ、聡子は笑っていた。
自分だけは、どんなわがままも許される気がしていた。付き合っていく間には必ずどちらかが、我慢や妥協を強いられるものだ。私と聡子のような関係ならなおさら、仕方のないことだと思っていた。
だから、そのあとも聡子との関係が続いたことも、当然のような気がしていた。あのとき三十歳だった聡子は今年で三十七歳になる。考えてみれば、もっと楽しく過ごせたはずの七年だったかもしれない。
「あの日、両手いっぱいに花火を買ってきてくれた隆志さんを見たときに思ったの。私は、この人のことを失いたくないって」
ぼんやりとしていた頭の中に、聡子の声が染み込んでくる。「知ってた?」と、顔を覗き込まれたような気がしてドキリとした。