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『煙にとけた思い』坂田志乃


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雑誌をたたんで、寝転がる信也の布団には、新品の青いシーツが敷いてある。この夏あらゆる衣料品店で見かけた冷感シーツだ。私の布団の上にもきちんと敷かれたそれを、二人が買いに行ってくれたのだと思うと、ありがたかった。
 夕飯には、車で二十分ほどの距離に住む信也の姉家族も来てくれて、大人子ども合わせて計八名がぎゅうぎゅう詰めになった。
 お姉さんの旦那さんは、眼鏡をかけて小太りの人で、Tシャツのキャラクターにしたら一番映える、という話で大笑いした。お姉さんはお父さんに似たのかそこまで多弁な人ではなかったが、皿洗いする私の隣にそっと立ち、「こっち涼しいでしょ、森に囲まれてるからね。私もクーラーの風って苦手なの」そう微笑んだ。「信也をよろしくね」
 小学二年生と幼稚園の大きい組(きりん組だと彼は言い張った)の兄弟はいっそう賑やかで、手巻き寿司を具だけで巻いてお姉さんに怒られていた。
 お風呂を済ませご両親におやすみなさいを言った後の今でも、皆の笑顔とざわめきが耳に残っているようだ。
 網戸から、木々に冷やされた空気が、火照りを冷ますように流れてくる。お姉さんの言う通り、地図上では海沿いに当たる場所だが、庭を取り囲むように樹木が生えて、都会のこもった暑さがまるで感じられない。熱帯夜に、朝起き抜けの喉の痛みと体のだるさを思いながら、エアコンのスイッチを入れなくてもよい。それだけで、帰りたくないなぁ、と思う。
「こんなに安心する蚊取り線香はじめて」
 笑みを含んだ私の言葉の、意図するところが分からない、というように、信也が片眉を上げる。
「小さい頃、蚊取り線香全部は使わせてもらえなかったから」
「どうしてたの?」
「クリップ挟んでた」
 点火され、真っ白な灰へ姿を変えることができるのは、決まって渦巻きの二周半分だけだった。母はカーブの部分にゼムクリップを挟んだ蚊取り線香を、私の枕元に置き、途中で火が落ちるようにしたのだ。
「あれすごく嫌だったの、なんかけち臭くてさ。確かにうちは父とは早くに離婚してるから、裕福じゃないし、切り詰めなきゃいけないってのは分かってたけど」
 信也の手が伸ばされて、膝の上で握りしめていた私の両手にそっと被さる。
「だからこの缶一杯に入ってるんだと思うと何か安心するのよね」
我ながら、貧乏くさくて笑ってしまう。ここらはやぶ蚊が多いからね、と持たせてくれたお義母さん。途中で尽きることのない、母の思いやり。線香が切れた後に蚊が来たら嫌だな、そんなこと思わなくてもいい。
「信也の家族好きだよ。この場所も」
 線香の煙がうすく二人を包み込む。
 優しい力で手を引っ張られ、私は新品の匂いの残るシーツに体を横たえた。

 リノリウムの床を滑る靴の音を、何かに似ているな、と思ったらバスケットシューズが体育館を駆け回る音だった。

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