「そうだったの。ごめんね。ありがとうね」
「でも、キュウリあげる前に逃げちゃった。ぼくダメだった。失敗しちゃった」
「そんなことないわよ。ママだって、失敗ばっかりよ。……実はね」
気まずそうに沈黙してから、絵理は再び話し始めた。
「実はママもね。この前、1匹逃げられちゃったのよ」
なぬ?
「それでどうしても見つからなかったから、公園で代わりのを捕まえて、内緒でケースに入れておいたの。聡太は、迷子になったバッタも見つけてくれたのね。バッタ探すの、本当にじょうずね」
なるほど。だから4匹になったのか。
聡太は足し算がわからないからママの話がイマイチ分かってないみたいだが、まぁ、細かいことはどうでもいい。
俺は、絵理に尋ねた。
「……絵理。おまえ、ひとりでバッタ捕りに行ったの?」
「そうよ」
「なにもそんな、つわりで苦しいのに無理して捕りに行かなくったって」
「だって。聡太がこんなにバッタを可愛がってるんだもの。悲しませたくないじゃないの」
「なら俺に言ってくれれば。代わりに捕ってきてやるのに」
絵理は、気の抜けた顔で笑った。
「でもパパ、虫が怖いんでしょ? 仕事も忙しそうだし、バッタのことくらいで煩わせたらかわいそうだと思ったんだもの」
絵理。
いつも仏頂面だったくせに、密かに俺を気遣ってくれていたのか……。
俺は絵理と聡太を交互に見つめた。
なんだか妙に、じぃ――ん……と来た。
うちの家族はみなそれぞれに、優しくてすてきじゃないか。バッタのお陰で、実感できた。
絵理と聡太を抱きしめた。
「バッタ飼って、良かったな俺たち」
え、なんでそうなるの。とちょっと不可解そうな嫁と。
うん、もっといっぱい捕まえようね。とよく分からないながらもバッタを肯定されてうれしい息子を。
力一杯抱きしめながら、俺は飼育ケースの4匹を見た。
――ありがとう、バッタ。
バッタが起こした珍事件は、こうして幕を閉じたのだった。
* *