「大地がいると穏やかでよかねぇ。また千波ちゃん連れてゆっくり遊びに来なさいよ」
なんとなく足を止めてしまった俺に気づかず、ばあちゃんは2歩、3歩と先を行く。
(ばあちゃんって、こんなに小さかったっけ……)
やけに小さく頼りない背中に見えたのは、気のせいではない。そこには確かに“老い”があった。
60歳過ぎてもママさんバレーをするほど元気だったばあちゃんではあるが、80歳も間際になると緩やかに背中は丸くなり、何年か前に少し足を悪くしたせいで肉も落ちた気がする。
ばあちゃんはそれっきり、じいちゃんの話を放っぽり出して、俺の結婚式の時はどうだったとか、俺の仕事はどうなんだとか、まるで小学生の子どもにそうするみたいに俺の話ばかりを聞きたがった。
*
1泊は本当にあっという間だ。
昨日島へ着いたのと同じ時間の便で折り返し本土へ向かうから、早起きして家を出なければならない。
「また来いよぉ」
「うん。じいちゃんも体大事にね。腰無理しないように!」
声を張ると、じいちゃんはうんうんと頷いた。
「大地、タクシー来たよー!」
家の前に出ていたばあちゃんが、玄関から大きな声で俺を呼ぶ。
結局、ばあちゃんは俺のいる間、一緒に海辺を歩いた30分以外のほとんどを台所で過ごした。
朝あんなに食べたのに、昼飯もきっちり出てきて、食べ終えればまたすぐ台所に立ち、今晩は何にしようかと考え、足りないものを近所の店に買いに行き、3時には夕食の準備に取り掛かり――座ることもなく、ずっと。
俺に食わせてやりたかったのだろう、ということだけではない。他にやることがないのだ。歌うことは好きでも、街のようにカラオケがあるわけじゃない。
ばあちゃんの娯楽といえば、畑いじりと鼻歌くらいのもので、毎日毎日このひたすらゆっくり時間が流れる土地で、じいちゃんのために食事を作り、たまに近所の人や島にいる親戚らと過ごし、そうしながら耳と腰の悪いじいちゃんを支え、自らも老いていく。
「……ばあちゃん」
「ほらこれ持って。お赤飯握ったから船で食べんね」
昨夜、3人で少し話をした後、何もすることがなくて10時半には布団に入った。信じられないくらい時間の流れがゆっくりで、もしかして本土と島では時間軸が違うんじゃないかと馬鹿なことすら考えるほどだった。
「ばあちゃん、また来るから。でも動けるうちにこっちにも遊びにおいで」
「そうだねぇ」
ばあちゃんはくしゃりとした力いっぱいの笑顔で、俺に手を振った。
「元気でね。またおいでよ」と。
俺をにこやかに見送るその心の中で、誰にも聞こえることのない悲鳴がこだましているような気がした。
実家に土産を持って行くと、玄関を開けた瞬間から何やらバタついていた。