「はぁ」吉村の言葉なら素直に聞ける自分が不思議だった。
「家族ってのは、近くにいると、なかなかありがたみがわからないものだよな」吉村がぽつりともらした。
美咲は、吉村の娘が数年前に結婚してアメリカにわたったことを思いだした。それを聞いたときは、うらやましいと思ったものだが……。
「それに、完璧な親も完璧な子どももいない。情けないけど、親といえどもいつまでたっても人間的に成長できないものなんだよな」
吉村の言葉が、美咲の胸にじわじわと染みていった。
それから美咲は、特に父に報告することなく、たびたび実家の庭を世話するようになった。慣れない手つきで道具を使う美咲を心配してか、そのたびに吉村も訪ねてきてくれた。
「お父さんはいつごろ退院できそうかい?」
「骨折はほぼ治っているのですぐだと思うんですけど、そのあとリハビリしなくちゃいけなくて……」
「なるほどねぇ……大変だなあ、お父さんも」
「はぁ。リハビリ施設のこと、早く決めなきゃいけないのに、父ときたら――あーっ!」
「どうした?」吉村が驚いて美咲を見やった。
美咲は目の前の低木の葉っぱを指さした。芳香を放つ白い花の木だ。
「変な虫!」
「変な虫?」吉村は美咲の指さす先に目をやると、けらけらと笑った。「オオスカシバだよ」
「オオスカ……? な、なんか、ツノみたいなのついてますけど。刺されるんじゃ?」
「大丈夫」吉村はなんでもないことのように虫を摘まみとり、近くにあったビニール袋に放りこんだ。美咲はそのようすを呆気にとられて見つめていた。
「クチナシの木によくつくんだよね。あとで殺虫剤をスプレーしておこう」
「殺虫剤? そんなもの使って、木が死んだりしないんですか?」
「大丈夫だよ。そのためのものなんだから」吉村は、いかにも愉快だといわんばかりの顔をしていた。
「この木……クチナシ?」
「いい香りだよね。この時期はいつもこの香りを楽しませてもらってる」
「そうか、クチナシだったのか」
「知らなかったのかい?」
「あ、はい……庭の木なんて、いままでほとんど気にしたことがなくて」
「そうなのか」吉村は縁側に腰を下ろした。「いいものだよ、庭いじりは。このクチナシみたいにきれいな花を咲かせてくれると、和むしね」
美咲はクチナシの白い花を見つめた。「たしかに。でもあの父がこんなきれいな花を咲かせたのかと思うと、なんか不思議ですけど」思わず笑いがもれた。
吉村が遠くを見つめながらいった。「お母さんが好きな花だったそうだよ、クチナシは」
「え?」美咲は吉村を振り返った。
「だからお母さんが倒れてからは、なんだか取り憑かれたようにクチナシの世話をしていたなぁ、お父さん」
「そうですか……」母が倒れたときの父の気持ちや行動など、気づきもしなかった。あのときは母のことで頭がいっぱいだった。そして母が亡くなったあとは、自分の悲しみと向き合うので精いっぱいだった。
「お母さんは亡くなったけど、こうして花はきれいに咲いてる。うれしいじゃないか」吉村はそういって、今度は梅を見上げた。「ずいぶん梅の実が大きくなってきたなぁ。今年はどうするんだい?」
「え? どうするって?」