吉村が眉を上げて美咲を見つめた。「毎年、いろいろ作ってるんじゃないのか? 去年はたしか梅酒を作ってたぞ、お父さん」
知らなかった。「そう……ですね……ど、どうしようかな」美咲はもじもじしながらいった。梅を収穫してなにかを作るなんて、自分にできるわけがない。
吉村がぱっと顔を輝かせた。「お父さん、意外と甘いものが好きだったよね? それなら、梅ジャムはどうかな? 退院したときのびっくりプレゼントにするんだ」
美咲は首を傾げた。「う~ん、梅ジャムですか……むずかしそう……」
吉村が笑った。「なにいってんだ、簡単だよ。種を取って、砂糖と一緒に煮こめばいいだけだから」
「そうなんですか……?」美咲は梅の木を見上げた。
わたしの誕生を記念して、父が植えた梅……。
そしてクチナシを見やる。
取り憑かれたように、この木の世話をしていた父……。
「そうですね」美咲は吉村に顔を戻した。「作ってみようかな」
吉村が満足げにほほえんだ。
数週間後、父がリハビリ施設を退所した。美咲は介護タクシーで車椅子に乗った父を実家まで送り届けた。
「ほんとうにもう歩けるの?」
「ああ。もうこんな車椅子いらん。杖があれば充分だ」
その言葉通り、自宅に戻ると父は車椅子を降りて杖だけで歩きはじめた。おぼつかない足取りながらも自力で玄関を上がり、まっすぐリビングに向かった。そこで窓から庭に目をやると、おや、という顔をした。
「庭、吉村のおじさんと一緒にときどき手入れしてたの」と美咲は説明した。
「吉村くんと? そうなのか。そりゃ彼に悪いことをしたな」
美咲は一瞬むっとしたが、すぐに気を取り直した。「なかなか楽しいものだね、庭いじりって」
父は不思議そうな顔で美咲を見やり、「そうか……」とつぶやくようにいった。
「それから、梅の実を収穫して梅ジャム作っておいたから」
さすがの父も、その言葉には心底驚いたようだった。「梅を収穫? おまえがか? で、梅ジャムを?」
「そう」美咲は得意げにいった。「冷蔵庫に入ってるから食べてね」
父は言葉を失っていた。美咲はさらに先をつづけた。
「あのね、お父さん、わたし一応考えてはみたんだけど、やっぱりここに戻ってくるのはやめておく。自分だけの生活も大切だから」そういって父の顔をまっすぐ見つめる。「でも、ちょくちょく帰ってくるようにする。庭いじり、なんだかおもしろくなってきたし。それに、お父さんのことも心配だしね。また自転車で転ばれでもしたら、目も当てられないから」
父はしばらくぼう然と美咲を見つめていたが、やがてふっと笑うと、庭に向き直った。「そうか……」口もとをゆるめたまま梅の木を見上げている。「……ありがとうな」
美咲は父の背中ににこりと笑いかけ、父と同じように手入れの行き届いた庭に視線を移した。
夏の陽射しが、青々と茂る葉のあいだで楽しげに躍っていた。