「お食事になさいますか? それとも、お風呂になさいますか?」
私が、わざと、うやうやしく訊ねると
「そうねえ……」
どういうわけか、母が、下を向いてしまった。やはり、胸のことが気になるのだろうか?
「せっかくだから、かあさんが、先に、ゆっくりお風呂に入るといいよ」
今まで、黙っていた父がそう言ってくれて、それじゃあと、母は、風呂場に向かった。すると
「まあ! 素敵!」
買ったばかりのヒノキの桶と、真新しい浴衣のセットを見て言った母の弾んだ声が、風呂場の方から聞こえてきた。
「お湯も楽しんでくださいね。ちなみに、水上温泉です!」
タケルが、少し離れたところから、そう言っていた。
「ゆっくり入ってね」
「ありがとう。そうさせてもらうわ」
和室に戻ると、父が横になって伸びをしていた。
「お父さん、今日は、ありがとうね。時間、引き延ばすの、案外大変だったでしょ?」
「まあな。母さんは、案の定、早く帰りたがったけどな、俺は、久しぶりのデート、昔に戻ったみたいで楽しかったぞ。ありがとうな」
そう言いながら、父は、起き上がって、私に、軽く頭を下げた。
「いいお湯でした。お父さん、お先にありがとうございました。みどりも、タケルさんも、結衣もありがとうね」
おろしたての浴衣を着て、風呂場から戻ってきた母の目は、少し潤んで見えた。
父が、風呂場から戻るまで、母は結衣とお手玉をしていた。
私と、タケルは、夕食を、台所と和室を行ったり来たりしながら、運び続けた。つくづく、旅館の仕事は大変だと思った。
父と母の食事中に、私たち3人も台所で簡単に、食事を済ませた。
「明日の朝、また来るから、ゆっくり休んでね。一晩、旅行気分を味わって! 荷物は、明日、ちゃんと元あった場所に戻すからね」
そう言って、私たちは、歩いて5分の我が家に帰った。
翌朝、実家に着くと、母はもう、普段着に着替えて、台所にいた。
「もっと、ゆっくりしてくれたらよかったのに」
「おはよう! もう、充分。本当にありがとうね。あなたたち、朝ご飯まだでしょ? 一緒に食べましょうよ」
母の笑顔は、心なしか、明るく見えた。
朝食を5人で食べ終わると、タケルは、実家からそのまま出勤し、父は、町内会の集まりに出かけた。昨日寝たのが遅かったからか、結衣は、また、うとうとと、し始めた。
「みどり、昨日は、本当にありがとう。まるで、温泉に行ったみたいだったわ」
「そう。よかった」