「猫を飼うことになります」
「おかしいじゃない! 私はいま、リン子に猫を飼わせないって話をしてるのに!」
私は思わず、バンと机を叩いた。ああ、悲しいかな、これが直情型のさが。大声を出して机を叩いても問題は解決しないってことはわかっている。わかっちゃいるけどやめられない。
一方、夫はあくまで冷静に、論理的に反論した。
「それは、必ずしも正確ではありません。我々がいましているのは、金魚の世話もできない人間が、猫の世話などできるわけがない、だから、猫を飼うのには反対、という話です。『金魚の世話ができない』という条件が覆れば、猫を飼うのに反対する理由はなくなるはずです」
こっちが感情的になっているときに、こう滔々と論理を並べ立てられるのってすごい腹立つんだけど、べつに間違ったこといってるわけじゃないからいい返せないし、ものを投げつけなきゃいけないほど相手に非があるわけでもない。それでどうしようもなくなって、私は「はああああ……」とクソでかいため息を吐いた。
「……つまりあなたは、リン子が猫を飼うのに賛成ってこと?」
「はい。もしもリン子さんが、ちゃんと金魚の世話をするならば。しかし、そうでなければ、反対です」
はい出たよ、ロボット回答。感情あんのか、こいつ。いや、あるからその昔私を口説いて、結婚して、子供まで作ったんだろうけども。
「……ちなみに、あなた自身の考えでは、賛成なの、反対なの?」
「どちらでもありません。昔から、金魚以外の脊椎動物を飼ったことがないので、判断材料がないのです」
あくまで冷静な回答を続ける夫に、私はいじの悪い質問をする。
「私は、脊椎動物じゃないの?」
世の中には専業主婦を家事のできるペットくらいに思っている男がいると聞く。夫がもしそんな気配でも見せようものなら、それを口実に実家に帰って、当分別居してもいい。いや、それで離婚なんてことになるとこっちが困るんだけど、私が困らないギリギリのところで、彼を困らせようと思ったのだ。
しかし夫は、何年も前に、私をコロリと落としたときと同じ微笑みを浮かべて、リビングテーブルの上でそっと手を握ってきた。
「あなたは脊椎動物ですが、ペットではありません。人間です。配偶者です。愛しい妻です」
その夜は、ひさしぶりに燃えた。