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『百日のはじまり』菊武加庫


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「ありがとう。でも、二人のほうが気楽だしね。何かのときに来てくれればいいの。それより箪笥に夏用のパジャマが入っているから持って来てくれない? お父さんに頼んだけどわからないような気がしてね」
 そういえば義母が倒れた日、まだ庭にバラやフリージアが咲いていた。もう五月も終わりが近い。この一ヶ月あまり、混乱して冷静でいられなかったのは自分たちの方だったのかもしれない。

 箪笥の中には夏のパジャマが二着、畳まれて入っていた。薄紫のガーゼ地のものと、小花のリバティプリントのものだ。どちらも過去の母の日に、周子たち夫婦が贈ったものだ。どの母の日も義母は元気に笑っていた。思い出すと喉元から胸のあたりがきゅっとなる。
「色落ちしてるし、新しいのも買って持って行こうね」
「そうだね」
 ぎっしりと重ねられた義母の夏服は、どれも見慣れた柄ばかりで、その上には小さな防虫剤が、ぱらぱらと散らされている。全部少しだけ膨らんで、文字の色が変わり、取り換え時期が過ぎたのを教えている。
「これ、たくさん入っていてお得だと思うのよ」
 そう言って、義母が防虫剤の大きな袋を見せてくれたことがある。以来周子も六月になると、その大きな袋を買いに行く。
 そして、洗って乾かした冬服の上にぱらぱらと乗せると、これで大丈夫という気持ちが、ふーっと満ちてきたものだ。梅雨前最後の、初夏らしい風が吹き抜ける部屋で、冬物を移した引出しを閉める。その時間を終えると、安心して次の季節に向かうことができるのだ。それをずっと繰り返してきた。義母はその二倍もの季節を巡らせてきたことだろう。
「今年は衣更えするのは無理だろうから、防虫剤だけでも私が替えますね」
 義父も雅男も頷いていた。

 防虫剤を買いに行った商店街で、例のソプラノ歌手の泰代さんに声をかけられた。今後はもっと学びたくて、イタリアと日本を行ったり来たりの生活になるという。行ったことはないが、ナポリにはこんな人が沢山住んでいそうだ。
「リサイタルには来てね。飲みにも行こうね」
「絶対行くよ。帰ったら知らせてくれよ」
 泰代さんは晴れ晴れと手を振って大股で去っていった。
「確か結婚していたはずなんだけどな。ま、いいか」
「よくわからないけど爽快だね」すべての人に時が流れている。
 パジャマを洗い直して、引き出しに防虫剤を並べると、またいつもどおりりの夏が巡って来る。風と雨に乗って、何度も何度も巡って来る。

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