8月期優秀作品
『百日のはじまり』菊武加庫
女難の相という言葉があるが、夫の場合どう言えばいいのだろう。断じて女難ではない。女傑に包囲された運命なのだ。良く当たる占い師がいたら、こういう運命の男は、ざらにいるのかどうか尋ねてみたい。周子はかねがねそう思っている。
夫の須藤雅男は、妻の周子より二つ年上の四十五歳だ。今でこそ体重が、身長の下二桁を軽く上回り、腹囲も年輪を重ねてぷっくりしてきたが、幼少期は病弱で色白、引っ込み思案の子どもだったという。
夫が病弱で色白だった頃、三男だった義父は、本家の近くに土地を分与され家を持った。雅男夫婦の家から車で十五分とかからないその家に、両親は今も元気に暮らしている。
家が建ったのは、辺りに住宅が増える前のことで、夫は両親や、隣のおばあさんに可愛がられる平和な日々を送っていた。
何の不満もなく、穏やかに暮らしていた雅男だったが、五歳になって幼稚園に入ると、人生初の恐怖を体験することになる。
幼稚園では、女子のボスが数名の小ボスを従え、二派に分かれて幅を利かせていた。そこに休みがちな雅男が登園すると、無理やりどちらかのボスにつくように命じられるのだ。お弁当後や、帰りのバスの中など、先生の目が逸れた時に、彼女たちは圧倒的な権力をもって、他の園児たちを派閥に振り分けていた。逃れられる幸運な子もいたが、たまに出席する雅男は、ボスにとって珍重な生贄に近いものがあったにちがいない。それが怖くて、ますます幼稚園から足が遠のいたという。
「須藤君!ひさしぶりね。元気?」
夫婦で歩いていると、張りのある声の中年女性に出くわすことがよくある。
「今の人は?」
「幼稚園のボス。県会議員をしている。変わらないよな」
あるいは、
「もう一人の大ボス。市役所の課長をしている。市役所に就職しなくてよかったよ」
またたとえば、
「その下のボス。法学部を辞めて医者になった。この前突然誘われて飲んだ」
「雅君の同級生ってすごいね!」
「女子はね。まだいるよ。独身で製薬会社の課長になって、家もマンションも買って、もう欲しい物は何もないって言ってる人とか、銀行の管理職になって『今年こそお嫁に行きまーす』って言いながら飲んでる人とか」
そういう逞しい女たちが雅男を見かけると、道で、電車で声をかけ、飲みの誘いや、同窓会の相談を持ちかける。
エリートと呼ばれる男性なら、こういった女友だちは珍しくもないだろうが、夫は普通のサラリーマンだ。むしろひっそり生きたいと常々願っている。