小学生の頃、通知表に「とてもよく頑張っていますが、少し引っ込み思案です」と書かれた。以来、「引っ込み思案」がコンプレックスになり、世の中で一番嫌いな言葉になった。そういう性格だ。
大学を出てからずっと、とある清涼飲料水のメーカーに勤め、現在は課長として、そこそこ仕事をこなしている(と思う)。取引先や顧客と、やり取りすることも多い。初対面の相手に接するにも慣れてきた。若い社員を相手に研修をすることもある。
それでも周子から見ると、雅男の中にはいつも、人見知りで内気な子どもが住んでいる。そう見えてならないのだ。
実家に近い支社に転勤してからは、日常的に、かなりの高確率で同級生に見つかる。なぜか相手が先んじて雅男を発見し、逡巡なく遠くから声をかけてくる。夫はそのたび、無意識に後ずさりするのだ。
(びびっているな)といつも思う。
数年前、雪の日の通勤途中、夫の車がスリップして、電柱にぶつかったことがある。ゆるゆるとぶつかったのだが、それでも車のフロント部分が曲がり、修理会社に運んでもらうべく電話をしていた。その時――。
「どうしたのー?」
高らかに響く声が、通り過ぎるバスの中から聞こえた。ソプラノ歌手の同級生、泰代さんだった。
どうしたのってぶつかったんだよ、とも言えず、曖昧に笑ったらしい。なぜ友人にソプラノ歌手がいて、こんな場面で遭遇するのか。
レッカー車を待っていると、今度は別の同級生が「須藤君、おはよう!」と、ワインレッドの車で通り過ぎた。
職場まで送ってくれる気配りはないのか。さもなくば、そっとしておいてほしい。心底そう思ったと、今でも振り返る。
こういった話は、彼の身に際限なく起こる。そして周子は、この手の話がおかしくて大好きなのだ。
「多分さあ、雅君子どものときと同じ顔で、発見しやすいんだろうね」
「そうかなあ。もっと可愛いかったと思うけど」
そういえば、と周子は回想する。新婚当時、夫の実家に行くと、いとこたちが度々訪れたものだ。男のいとこは、総じておとなしく印象も薄い。口数が少なく影も薄い。
だが、女のいとこたちは一度見たら忘れられない人ばかりだった。楓さんは義母の長姉の娘で車のライセンスを持っており、真っ赤なスポーツカーで乗りつける。だらだら運転するのが大嫌いだから、人の車には乗らないと言った。
次姉の娘である昭代さんは、目が覚めるような緑のワンピースを着て登場した。十本の指のうち、軽く六本に大振りの指輪が光っていて、その手を高々と振りながら豪快に笑う。怖くて何の仕事をしているのか聞けなかった。
どうやら夫は内でも外でも強い女に包囲されて生きてきたらしい。そしてそういう女たちは、なぜか共にリングに上がる男より、雅男みたいな男の方が安心するようなのだ。
そこへいくと、周子は平凡だ。三歩下がってというわけではないが、自分を良くも悪くも普通の女だと思う。普通が何かといえばよくわからないが、今後余程のことがない限り、劇的な人生を自分が送るとは思えない。事務職のパートを家計の足し程度にしているが、管理職とか、そういうのは別世界だ。高校二年生の沙耶と、中学二年生の達男が元気に育ってくれて、家族が平穏に暮らせること以外に望むことはない。