得られなかった子ども時代を取り戻すように暮らし、その心地良さが永遠に続くと錯覚していたのか。まさか自分は、わざと現実を見ずにいたのではないだろうか。考え始めると、後ろめたい気持ちさえ湧いてくるのだった。
結局、右半身に後遺症が残るのは避けられないことが、日ごとに明白になった。治療らしい治療はもう終わり、後はリハビリを根気よく続けるしかないというのが病院の見解だ。
入院生活は当分続くが、大半は機能回復の訓練に充てられることになった。ほんの数日前まで台所に立ち、健康のためにぐんぐん歩いていた。
戸板を返したら別の人生が続いていて、そこに足を踏み入れたような気がする。またどこかの戸板にぶつかって返せば、元気な義母が立ち働いているのではないか。その入り口はどこにあるのだろうか。
しかし何度訪れてみても、倒れたばかりの義母の言葉は不明瞭で、表情も乏しく、家族の誰もが、先のことを考えられないでいた。
一ヶ月半ほど過ぎたあたりだった。
病院に行くと、廊下に笑い声が聞こえた。義母の声だ。間違いない。けたたましくはないが、その部屋からだけ、笑いさざめくような声が廊下を伝うように広がっている。仲間がいるようだ。
「お義母さんの声だよね」
「うん。予想通りというか、そうみたいだね」
雅男が苦笑してこっちを見た。
入院したばかりの頃、同室には同じような症状の人ばかりいるのがちらりと見えた。それぞれの背景は想像もつかないが、周子は単純に、年を取ることを怖いと感じた。そこに明るい何かを見出せないでいた。
一か月半通ったが、その人たちが談笑しているのを見るのは初めてだった。
外からは、後遺症が残るという事実しか見えないはずなのに、今まで彼女たちの心の内を勝手に決めつけていた。その人の心は、その人にしかわからない。
病室の中で世間話を楽しむ彼女たちは、教室の女学生や、幼稚園バスを待つ若い母親と、なんら変わっていないように思えた。
人はそう簡単には変わらない。変わったと決めつけるのは、ありきたりの結論に落ち着きたい他者のお節介だ。
聞けばリハビリ仲間であるらしい。考えてみれば当然のことだ。朝は共に体を動かし、午後には折紙などの製作も一緒にする。それにこの年代の人は仲良くなるのが上手い。
「最近はね、リハビリの声掛けは私の係なんだから」