雄太君が突然、左の路地に入った。美咲は小走りで追いかけた。今度は、車がやっとすれ違える広さの路地、運動会の行進のように、きちんと縦に並び、奥へ奥へと進んで行った。色が違う景色が目の前に現れてきた。建物の壁と道、目に付くものすべてが、鉄が錆びた色に染まっている。夕日がより赤くしている。人影は見えない。両側に小さな工場が並んでいるだけ。機械の音が淋しく響いていた。
こんなに淋しそうなところが、家の近くにあったんだ。
赤茶色が靴に付かないように、足元に気をつけながら、ゆっくり歩いていると、少し前の雄太君の靴が止まった。
美咲も立ち止まると、雄太君が振り向いて、「ここ、ちょっと待っていて」といった。
雄太君は、小さな事務所のドアを開け、おじさんから封筒を受け取っていた。おじさんが笑いながらこちらを見ている。
雄太君が事務所から出てきて、「せっかくだから工場を見ていけだって」といった。
美咲は断る理由もないので、見学させてもらうことにした。
「工場なんか見たことないだろ?」おじさんが、ヘルメットを美咲に差し出した。
美咲はうなずいて、ヘルメットを髪が崩れないようにかぶった。
生まれて初めてのヘルメット。危険なところへ行くんだという緊張した気持ちと、かぶることが恥ずかしい気持ち。ヘルメットから出ている髪の毛を両手で丁寧に整えた。
雄太君も気分が高まっているのか、顔が赤くなっている。
重たそうな鉄の扉をおじさんが開け、雄太君の後から工場に入る。
むせるような油の臭いと騒音と暑さ。怖そうな機械が並んでいた。その前に、真っ黒い油が付いた作業服を着た、男の人たちが働いていた。その背中を目がけて、大きな扇風機も回っている。
おじさんが、機械の音に負けないように、大きな声で説明してくれた。
今は、コンピュータで自動運転する金属加工の機械が多いけど、ここは、まだ、手動の機械だそうで、男の人たちは、ハンドルを回しながら、金属に穴を開けたり、削ったりしていた。
奥へ進んで行くと、工場の妻壁が見え、その手前に大きな機械があった。なんでも、鉄板からいろんな形を抜く機械とのこと。鉄板をセットし、大きな鉄の塊のようなものがゆっくりと落ちてきて「ガシャ」。痛いというか、居たたまれない音がする。
それを規則正しく繰り返している男の人がいる。「ガシャ、ガシャ、ガシャ、ガシャ」
美咲の視線が固まった。「えっ」という形で唇も固まった。町工場って、ここだったんだ。聴覚と嗅覚は遮断され、あまりにも見慣れたおとうさんの丸い背中をボーッと眺めていた。
雄太君が美咲の耳元で叫ぶ。
「もう、行くよ」
「あっ」美咲は小さく声を上げた。
おとうさんがここで働いていることが、雄太君にばれませんように。
事務所に戻ると、おとうさんの名前、「山本」がどこかに書かれていないか、四方の壁を見た。ない、美咲は大きく息をついた。
雄太君はヘルメットを脱いで、「工場ってすごいね。かっこいい」と工場の中と同じように大きな声を上げた。
美咲もヘルメットを脱いだ。ペタンコになった髪の毛はそのままのまま。