「家でも、今晩は、カレーだから」美咲は、さようならのように、手を振った。
雄太君は何もいわず、お皿を美咲の前に置いた。一口だけ食べた。「おいしい」思わず美咲はつぶやいた。いつも食べているカレーより断然おいしい。お腹の中へスっと入るように感じられた。
「そうだろ。僕も最初食べた時は、おいしくてびっくりしたよ」雄太君が、得意気に笑って、「今はもう飽きたけどね」とまた笑った。
カレーライスを食べ終えた頃、雄太君の携帯電話が、食卓の上で鳴り始めた。表示を見て、雄太君はため息をついた。
「ハイ」気乗りしない返事、ただ聞くだけの電話。大きな声がもれている。
雄太君が声を落として答えた。
「うん、分かった」
顔をしかめている雄太君、美咲は訊かずにはいられなかった。
「何かあったの」
「あいつが親戚のおじさんの工場へ行って、領収書をもらっておいてくれと命令するんだ。今日は、もうゲームができなくなった」
美咲は意味がよく分からない。「あいつって?」
「ああ、おとうさんのこと」
「あいつって呼んでいるの?」
「ああ、おかあさんも、おとうさんのことをそう呼んでいる」
「どうして、あいつなの?」
「あいつは、いつも、お前の好きなものを、何でも買ってやっているんだから、俺のいうこともちゃんと聞けとうるさいんだ」
「いうことって?」
「もっと勉強して、良い私立中学へ行けとか、会社の手伝いをしろとか。とにかく、全部、命令口調でいうんだ。聞かないと怒るし」
「おかあさんもどうして、あいつなの?」
「おかあさんは、売上げが伸びないのは、社長である、あいつの営業力がないからとか、いつも文句をいっている。元々、おかあさんの父親の会社だから」
「そうなんだ」美咲は抑揚もなくいう。「欲望にはきりがないんだよ」という、おとうさんの言葉を思い出した。
「これから、そのおじさんのところ行くんだけど付き合ってよ。歩いて二十分ぐらいだからいいだろ」
雄太君はクラスの仲間をよく家に呼んでいる。そんなに話したこともない美咲ともできる限りずっと一緒にいようとする。雄太君、本当は淋しいんだ。おとうさんともうまくいっていないようだし。
「いいよ」美咲は首を縦に振った。
雄太君の家を出てバス通りを北へ歩いた。雄太君と並んで歩きたいけれど、バス通りといってもきちんとした広い歩道がないので、車に注意しながら、雄太君の後ろからついていくことにした。何か話さないといけないけれど、何も話せないから、これでもいいな、と思いながら。