「そうか。祐一は鮭が大好きか」
「うん。修平は小さいから、半分だけどね」
「お魚さんのためにも、残さずきれいに食べような」
「うん。でも、どうして、お魚さんのためなの?」
「生きていたものをいただく時は、きれいに食べてあげることで、ありがとうの気持ちを表すのさ」
今日の昼、海の話をしたせいか、釣り好きな父親から、きれいに食べてあげることが魚への供養だと教えられたことを思い出した健介が、それを噛み砕いて子供たちに伝えると、
「お父さんの言うこと、ちゃんと分かった?」と嬉しげな美咲の笑顔。
口に出して言わないだけで、健介のことを心配しているからこその笑顔なのだと思うと、美咲がいじらしく思われた。
実際、美咲はこれが一時的であるとしても嬉しかった。
最近の夫はまるで覇気がなくて、覇気がないという言葉を、中学校に上がる前に、母の大切だった人を指す言葉として知った美咲は、一年とちょっと家族の一員であったその人が「さよなら」も言わずいなくなってしまっただけに、心配もひとしおだったのである。
「あんな覇気のない人のどこがよかったんだか」と茅ヶ崎に住む祖母は言っていたけれど、以降、私たち以外の家族を持たないことを選んだ母が、表立って心を寄せた人。
母がよく行く本屋の店員さんで、多分アルバイトだったのではないかと思う。
美咲と弟は、母がそう呼ぶように、その人を「コバヤシ君」と呼んでいて、うろ覚えのコバヤシ君は、ひょろりと背が高く、くしゅくしゅした髪型で、母よりずっと年下で――、
残業の多い母に代わって手の込んだ夕飯を作ってくれて、美咲の得意料理は、今夜の鯖の味噌煮も含めておおかたコバヤシ君から習ったものである。
ベッドに入っても寝付けず、何度も寝返りをうっているうちに美咲の脳裏に蘇ってきた記憶の数々。父と母が別居したとき、まだ小学二年生だった美咲に、母は、
「お父さんとお母さんはお互いが背中を向けちゃったの」と離れる理由を語ったけれど、コバヤシ君のときは何も語ることなく、麻美おばさんだったか誰だったかに、
「置いていかれるより、置いていく方が辛かったかもしれないね」とだけ漏らしていた。
そんな美咲の記憶も知らないで、寝相良く上を向いて眠っていた夫がふいに美咲に背を向けたので、美咲は自分の背中を夫の背中にくっつけてみた。
じんわりと夫の体温が伝わってきて、背中合わせというのは、なんて気持ちが落ち着くんだろうと美咲は思った。背を向けていても、こうして温もれるうちはまだ大丈夫。
お互い違う方向を向いていても、一人ではないと実感できるから……。
そして年が明け、1月最後の金曜日。