小説

『BAR竜宮城からの贈り物』野月美海(『浦島太郎』)

 なんて言い訳をしよう。BARを出た瞬間から翔太はぼんやりと考えていたが、とうとう答えが出ないまま安アパートのちゃちな玄間扉の前まで来てしまった。震える指は、それでも迷わずチャイムを鳴らす。
 ピーンポーン
 場違いに間延びした間抜けな音も、今日ばかりは緊張を和らげてはくれない。開けて貰えないという事態も覚悟したが、永遠にも思える5秒の沈黙の後、チェーンのかかったドアの隙間から恋人の顔が覗く。
「…どちらさまですか?」
 そして放たれた一言がこれだった。ジーザス!

 
 気怠い月曜日の昼下がり。海浜公園をぶらぶらと歩いていると、眠たい空気を破るように唐突にいつもの話が始まった。
「ねえ、翔ちゃん。正社員にならないの?」
 セイシャイン。それは辞書によると単純に「正規雇用で企業に雇われた労働者」を指すが、翔太にとってはそれ以上の意味を持つ言葉だ。正社員はフリーターを相対的に貶める言葉であり、そんな理由でいつしか一瞬で二人を険悪にする魔法の言葉へと進化した名詞だった。
「…なるよ。なるために今、仕事を探している」
「結婚、したくないの?」
 微妙にかみ合わない会話。由香も気づいているに違いない。それでも言わずにいられないのだろう。暗い声が翔太の焦燥に拍車をかける。

 由香とは7年前――僕らが田舎の高校生だった頃――から交際を続けている。大学進学と同時に二人で東京へ出てきて、無事に揃って大学を卒業してから同棲を始めた。
 卒業後、由香は小さなベンチャー企業で正社員となったが、就活の波に乗れなかった翔太はアルバイトをしながら正規雇用の仕事を探している。翔太が由香の休みに合わせる形で、気付けば月曜日と木曜日が二人の休日となっていた。そんな生活がもう2年続いている。

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