小説

『蛇と計画』和織(『アダムとイヴ』)

ツギクルバナー

「こうするのが一番よかったんです」
 最後に僕はそう言った。姉とその恋人は僕の手をとり、礼を言ってから去って行った。手をつないで歩く、幸せそうな二人の後ろ姿、その先に、大きなクリスマスツリーがあった。木と、堕ちて行く男と女。僕はその画を、二人が見えなくなるまで眺めていた。僕が最後に口にした言葉は本心だったけれど、彼らが思っている僕の本心と、実際は違う。全ては、二人の為ではなく、僕自身の為だった。
 数年ぶりに煙草を買って、火をつけた。いやらしい優しさで血を抜かれるような、懐かしい感じに包まれる。今の僕にぴったりな、屈折した贅沢だ。煙を吐き出す度に、体の中から軽いものが消えて行ってしまう気がした。軽いものだけが、空へ上がることができる。僕の中には重いものばかりが蓄積されて、どんどん地面が近くなる。
 もしも、姉がいなければ・・・・・
 ふと、そう思う。もしも彼女がいなければ、自分はこんな人間にならずに済んだのに、と、そんな無駄なことを、僕はこれから一生、考え続けて生きて行かなければならないのだろう。全ては、イヴの存在が招いたこと。イヴがいなければ、彼女を騙した蛇は、自身でずっとそれに気づいてはいながらも、何とかその狡猾さを抑えていられたかもしれない。翼を失い、地に這いつくばって生きることにはならなかったかもしれない。もちろん、貶める為に人を騙した訳だから、蛇に罰が与えられるのは当然のことだし、蛇自信それを予期していなかった訳でなないだろう。けれど、それでも蛇は我慢ができなかった。僕は、その蛇の気持ちがよくわかる。それでも、姉をそそのかさずにはいられなかった。騙された当の本人は、そのことにすら気づいていないけれど。
 僕と姉の希は、ただの子供としてではなく、医者の子供として生まれた。祖父は県内で一番大きな病院の医院長で、次には、父がそのポジションに着くことになっている。僕は当たり前のように、医者になる為に育てられ、それに逆らうことなくそうなった。姉の希は、当たり前のように蝶よ花よと育てられ、それに逆らうことなくお姫様になった。ものを知ることから遮断されたまま、大人が好むタイプの正義感ばかりを教え込まれた姉は、物心ついたときから、僕にとって浮世離れした存在となっていた。常にガラスケースの中で護られている彼女を、外側から見ている気分だった。ときどき、彼女が女であることを無性に腹立たしく思うこともあった。女の子はお姫様として生きることが幸せだという、ゴキブリみたいに古くてしぶとい父の考え方も憎かった。しかし反面、何も知らない姉を、内心馬鹿にもしていた。世間を知らない、本当のことを何も知らない彼女のことを、ざまあみろと思っていた。

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