ボイオチア地方の名高き盲いの予言者・テイレシアスは、数奇な運命の持ち主であった。
ある日鬱蒼とした森を一人歩いていると、草陰で交尾する一組の蛇が彼の目に入った。てらてらと濡れ光る鱗に覆われた巨大な蛇体がうねるのを目にして、背中が粟立つような恐怖に駆られたテイレシアスは、思わず持っていた杖でそれらを打ち据えてしまった。すると不思議な事に、蛇の霊力によってなのか、彼の体は忽ち女のそれに変わってしまった。
元々が透き通るような肌に、ぬばたま色をした癖のない艶やかな髪、切れ長の目にはめ込まれた青玉の瞳、そして贅肉の欠片もないしなやかな長身という見目麗しい青年であったので、女性としての容姿も並外れて美しいものであった。鍛冶神の造形物もかくや、美神の祝福を受けた容姿は当然の如く、地上をあまねく照らす太陽神アポロンの目に留まった。神の求愛は情熱的だが典雅で、掻き鳴らされた竪琴の調べのように烈しく甘いものだった。心も女性のそれになっていたテイレシアスは、男神の中でも最も美しいと評される太陽神の美貌にすっかり心を奪われ、脳の奥まで蕩かすような愛の麗句に陶酔し、夢中でその逞しい胸板に身を預けた。
かくして神の寵愛を受けてから七年のちのことだった。テイレシアスがアポロンと森で逢瀬を楽しんでいると、いつぞやのように、草むらの中で一組の蛇が交尾をしている場面に遭遇した。アポロンは蛇が生命を司る霊獣であることをよく承知していた――息子である医神アスクレピオスの象徴は、蛇であるからして――ので、それを一瞥すると、一度蛇の力で女となった経緯を持つ恋人に、冗談めかして言った。
「それ、これを打擲すれば懐かしの男に戻れるぞ。だが安心するといい、たとえ男であろうとも、私はお前を変わらず愛し続けると約束しよう」
テイレシアスは、出逢った初めの頃と少しも変わらずアポロンの愛に蕩けきっていたが、一方ではアポロンが言うように、男であった本来の自分が懐かしくもあった。そこで、神の言葉を聞いて安心するなり、躊躇いなく二匹の蛇を七年前と同じように激しく打ち据えた。
さて、アポロンは太陽神である他に、予言の神でもあった。その権威は、世界の中心とも呼ばれる街・デルフォイに構えられた神殿を通して遍く知れ渡っていた。そこの巫女は神懸かり状態となって神意を告げるが、その明瞭かつ精緻な内容の神託は決して外れることがないので、デルフォイの政治や外交の揺るぎない指針となり、また繁栄の礎ともなっていた。アポロンはその予言力を一人の恋人のためだけに用いていた。すなわち、愛しいテイレシアスの未来をのぞき見ては、彼が破滅的な路を辿ってしまわぬよう、これこれという場合にはこうせよと然るべき助言を与えていたのであった。