小説

『うらら葛の葉』香久山ゆみ(『信太妻』(大阪府和泉市))

 人間、くさい……。
 カンカン照りの日射しがじりじり肌を灼く。アスファルトの照り返しもひどい。折畳みの小さな日傘など何の役にも立たぬ。ふらふら歩き続けて、ようやく目的地に辿り着いた時にはもう汗だく。
 そもそもここに来たいと言い出したのは亜紀だった。
 なのに、私一人でここに来た。本日の大阪の最高気温39℃というあまりの暑さが、彼女の体調に障ると思ったからだ。私が代わりに行ってくるから、亜紀は家にいなよと勧めると、存外あっさり承諾した。さほど思い入れもなかったのなら、私もともにやめておけばよかった。そもそも、安産祈願ならほかにもっと大きくて有名な寺社があろうものを。
 電車を乗り継ぎ一時間かけ、さらに駅から炎天下を二十分も歩いてようやく辿り着いた聖神社は、酷暑のためか閑散としている。
 本殿で手を合わせ、木陰で一息つきながら境内地図を確認する。本殿の裏のいっとう奥まった場所に稲荷社がある。向かうと、木々に囲まれ少し下った先に、二体の狐に挟まれて朱塗りの祠がある。
 そっと手を合わせる。
 彼女を祀っているとはっきり書いてあるわけではないけれど、この場所で稲荷社というと、自然と意識せずにはおられない。――葛の葉狐の伝説を。
 かつてこの地で男が一匹の白狐の命を救った。後日その男の元に美しい女が現れて、二人は結婚し、子を生す。しかし幸せは儚い。その子が五歳の時に、母を指して言う。「母上のおしりから尻尾が生えている!」正体の露見した狐は、歌を書き置き姿を消す。
   恋しくば尋ね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
 浄瑠璃の演目になるほど有名な物語である。この地は、妖狐が現れて、再び姿を消した森のあった場所だと伝えられる。今でも森はある。が、十分程歩けばぐるりと回れるほどだ。この程度の面積なら探し出せるだろうと突っ込みたくなる規模だが、当時は今よりずっと森が深かったのだろう。
 本来結ばれるべきでない相手と子を生した葛の葉狐。亜紀はどういう思いでここへ参ろうと言ったのだろう。父親のない子を生む自分自身に重ね合わせたのだろうか。
 狐ではあるが、我が子のために姿を消した葛の葉に思いを馳せる。母が狐と知れたら子の立身に障るだろう。そのために自ら身を引いた。しかし、息子は母をうらんではいまいか。母狐はきっと懊悩しただろう。
 けれど。
 あんな歌を残すのが悪いとも思う。私なら黙って姿を消す。あの歌を見てきっと息子も悩んだのではあるまいか。
   恋しくば尋ね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
 古語の「うらみ」には「かなしい」という意味もあるというけれど、いや、子にしてみれば「正体に気付いたお前を恨んでいる」とも受け取らないだろうか。他人事ながら気を揉んでしまう。
 けれど、私は他人の心配をしている場合ではないのだ。最近の私は、亜紀の前でちゃんと笑えているだろうか。なんの覚悟もないままに、流されてきたのではないか。神社の裏手にある鏡池を覗いてみたけれど、水面にはただ平凡な私の顔がのっぺり映し出されただけだった。
 歩いて信太森神社へ立寄る。聖神社の末社で、葛の葉狐を祀る。縁結びの夫婦楠が立つ。亜紀が一緒に来ていたら喜んだだろうなと思う。
 境内の隅の歌碑がなんとなく目に入った。和泉式部の和歌が刻まれている。

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