小説

『雨に消えた子』山崎ゆのひ(『あめふり(童謡)』)

「ちぇ」
 下校時になっても雨が止まない。ランドセルを背負いながら、僕は不機嫌な顔を取り繕えなかった。傘を手に、母が校門の陰で僕を待っていると思ったからだ。

 低学年の頃は、学校に母が来てくれるのがうれしかった。母の庇護を離れて、一人で闘っているというと大げさだが、僕にとって学校はそういうところだった。持病の喘息のために休みがちな体育の時間はもとより、「間違いを恐れるな」と言う先生に指されて、びくびくしながら授業中に発言すること、嫌いなおかずを残さず食べなければならない給食、そしていじめっ子に目を付けられないように、ひたすら目立たず息をひそめた休み時間。緊張の連続でお腹が痛くなり、一生つきまとうであろう「おもらし」のあだ名を回避するために頻繁にトイレに通った日々。
 僕にとってストレスの塊でしかない学校生活の中で、オアシスのような存在が母だった。授業参観のときは、1時間に何度も後ろを振り返って、先生に注意された。クラスメートにクスクス笑われながら、それでも僕は母の優しい笑顔を見ると、学校にいながら普段の何百倍も心が落ち着いた。そして母を喜ばそうと、よく理解もしていないのに先生の発問に手を挙げるのだ。だが、そんなときに決まって指名され、僕はでたらめの回答を言う。
「鈴木、落ち着いて答えなさい。お母さんが困ってるぞ」
 みんなの失笑に頭をかきながら、僕はまたしても母を振り返る。母は必死に『前を向きなさい』と、小さな動作で伝え、それも教室の笑いを誘うのだ。  
 そう、僕は母がいれば、道化にだってなれた。それは、ともすると僕が人気者だと母に錯覚させたかもしれない。母はいつも登校する僕に
「お友達をおうちに誘ってもいいのよ」
 と言ったが、その頃の僕には、放課後に遊ぶ約束をするほどの友達はいなかった。騒がしい友達に気遣いながら家で遊ぶよりも、一人で好きなマンガやテレビを見て過ごす方が気楽だった。だから、雨が降りそうな日でも、僕はわざと学校に傘を持っていかなかった。心配性の母が、僕を校門で待っていてくれる。そのことがひたすらうれしかったのだ。

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