小説

『アクリル越し』洗い熊Q(『たぬきの火の用心(神奈川県)』)

 こんこんこんこん。
 お前は聞いているのかい?
 こんこんこんこん。
 ちゃんと聞いているのかい?
 こんこんこんこん。

 
 ――これはうちの祖母の口癖だ。
 口癖と言うより、祖母との記憶で真っ先に思い浮かべてしまう言葉がこれだった。
 僕の胸の上に添えるように手を置いて、ノックする様に軽く叩く。
 こんこんこんこん、と。
 そして諭すように言う。お前は聞いているのかい。聞こえているのかいと。
 それをどんな状況でやるのか、何の意味があるかなどの記憶はないのだが。
 祖母との思い出と言われると、間違いなくその言葉なのだ。

 
 病弱な印象などなかった。どちらかと言えば頑丈な人だ。そんな祖母が軽微な病気を切っ掛けに入院をし、認知症を悪化させる結果になった。
 祖母は叔父の家族と一緒に暮らしていたので、年を追うごとに顔を合わせる機会は少なくなった。社会人になってからは一度も会っていない。
 認知症が酷くなって施設に入ってしまったのだが、もう殆ど疎遠だった僕に親類から祖母に会いに行けと言われる機会が多くなる。
 その施設の近隣に住んでいる孫と言えば僕だけだったからだ。
 悪い思い出などないのだが、会いに行けと言われば何となくとも億劫になるのは当然。親孝行の為だと言い聞かせ、しょうがないと向かうしかない。

 こんこんこんこん。
「お前は聞いているのかい? ちゃんと聞いているのかい?」
 こんこんこんこん。

 祖母がアクリル越しに、その窓を叩きながら聞いてきているのだ。
「うん、聞いてるよ。聞いているよ、お婆ちゃん」
 向こう側の祖母がにっこりと微笑んでいる。アクリルの枠が何となく遺影の額縁に見え、祖母がいる側は別の世界の様に感じてしまった。
 自分が会いに来た時期も時期だ。感染防止の為に施設での面接も会う事が禁じられてしまっている。
 直接に顔を会わせる為には、特別に用意された面会室のアクリル越しだけ。

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