小説

『アクリル越し』洗い熊Q(『たぬきの火の用心(神奈川県)』)

 それもあってだ。親類達が祖母に会いに行けとしつこく言うのは。
 そうそう頻繁に会いに行くのは世間体的に具合が悪い。しかも施設は辺鄙な所にある。割と近くに住んでいるのは叔父家族か僕だけだ。

 こんこんこんこん。
「お前は聞いてるのかい? ちゃんと聞いているのかい?」
 こんこんこんこん。

 何度も繰り返し同じ事を聞いてくる祖母。僕は何度も肯くだけ。
 もう末期なのだろうか。話すことも、聞くことも、僕には何もない中で、面接室内に祖母が叩く音が響くのだ。
 こんこんこんこん、と。

 繰り返しそれが続くと祖母の背後から、マスク姿でも優しげに見える介護士の女性が声を掛ける。
「そろそろ戻りましょうね」
 それに祖母は笑顔で何度も頷いて、僕に手を振って別れを告げるのだ。
 唯一、心が安堵する瞬間だ。やっと終わったのと、笑顔を見せてくれる事で何か一つの役割を遂げた感覚を覚えるからだ。
 役割なんて。これが苦行だと感じてしまっているのは、きっと祖母ではなく自分の方にある事は分かっているのだが。

 
 面会に行けるのも、この御時世のお陰かも知れない。
 リモートワークの割合が増え、自宅からの行動が楽になったからだ。肉体的に辛い事はない。寧ろ少し、祖母に会う事で気分転換にはなっているかも知れない。
「――お前、話を聞いているのか?」
 そうパソコン画面から上司の声が響く。
「すいません。大丈夫です、しっかりと聞こえています」
 画面の上司はあからさまにムスッとした顔をしているのだ。
 最近の会議はリモートが主体となった。直接、顔を合わせないだけで最初は良いと思っていたが、最近の上司の態度が実際に会うよりも酷い。
 正直、僕はこの上司とは反りが合わない。仕事自体は好きな方なんだが。
「――いいか。これから大事な時期なんだ。この不景気の中、会社の経営はあっという間に暗転するかもだ」
 言いたい事は分かる。今の御時世に先先に不安があるのは誰だってそうだ。
 だが上司は。いや、こいつは会社や未来なんて心配なんてしてない。ただ不自由な生活なった社会の不満を僕達で発散しているとしか思えない。
 まあこいつだって、もっと上の人間から同等の扱いをされているかも知れない。
「これからの戦略として、各部署長から提案が幾つか上がっています。各精査して、一度まとめた報告をするつもりです」
 救われるのは、この画面を閉じれば少しだけ解放感を味わえる事か。逃げ場の少ない会社とは違い、ここにいるのは自分だけで上司は遙か遠くに実在しているだけ。

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