小説

『アリス盗り』淡島間(『不思議の国のアリス』)

 隣の学区のアリスが盗まれた、との一報が入ったのは、新学期が始まって間もない、九月の放課後のことだった。
「なんだって!? 奴はすぐそこまで迫っているのか!」
 集められた図書委員たちは、色めき立った。
「夏休み前にはまだ県外にいたのに、西高と言ったら、目と鼻の先ではないか」
「対策を練らねばと構えていた矢先、まさか、これほど早く現れるとは……」
「そうだ、また彼に頼んだらどうか? おととし、奴を封じ込めた、伝説の図書委員……」
「いや、畑中さんは既に卒業している。現在は浪人として予備校に通っている身だ。我々に手を貸す余裕はないだろう」
「じゃあ、一体どうすれば良いんだッ!」
 口々に叫び、混乱する一同を見守っていた委員長は、おもむろに口を開いた。
「皆さん、落ち着いて下さい」
「これが落ち着いていられますかッ!?」
 反駁したのは副委員長だった。椅子を蹴って立ち上がり、隣に座る委員長に詰め寄る。
「状況を考えて下さい! 畑中さんに頼れない今、我々に打つ手は皆無と言って等しい! そうなったら、一番の被害を受けるのは、小林委員長、あなたなんですよ!?」
 佐藤副委員長が息巻いても、委員長は態度を崩さなかった。
 しかし、その表情を注意深く見れば、彼女もまた、激しい焦りに駆られていることは明白だった。最も危ない立場にいることを承知で、あくまで委員長としての責務を果たそうと、冷静を装っているのである。
 小林委員長は、深く息を吸い込んだ。三列に並んだテーブルに着き、緊張した面持ちで自分を見つめる委員に、語りかける。
「皆さん、事の重大さは、私も理解しているつもりです。ですが、ここでパニックに陥り、正確な判断を見誤ることこそ、奴の――アリスさらいの、思うつぼではありませんか?」
 一同は言葉を飲み込んだ。彼女の言う通りだったからである。
 委員長は、にこりと笑ってうなずく。その顔は、人身御供として捧げられる娘に似た悲愴で陰ってはいたが、我が身を案ずる仲間へ寄せる、感謝と信頼にあふれていた。
「大丈夫です。我が校のアリスを、簡単に渡したりはしません。――そう、六年前とは違うのだから、もう二度と――」
 絞り出した言葉の端は、奇妙な震えとなって消えた。

 アリスさらいは謎の怪人だ。
 日本における図書委員会の歴史は、常に奴との抗争と共にあったと言っても、過言ではない。明治末期には既に各校を悩ませていた、との記述もあるが、定かではない。また、奴の素性に関して、世襲制という説と、不老不死説があるが、これもはっきりしない。
 何にしろ、変態ということは確かである。
 校舎への侵入、及び、備品の窃盗。紛れもなく、法を犯す行為である。

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