小説

『アリス盗り』淡島間(『不思議の国のアリス』)

「何でも……?」
 委員長の瞳が、ギラリと光る。突然の反応に、彼は身を固くする。
 既に日は暮れ、野球部のかけ声すら聞こえない。二人きりの図書室には、うすら寒い闇が降りつつあった。
 委員長がにじり寄り、学ランに手をかける。副委員長は息を詰めた。心臓は早鐘のように鳴り響く。
「だったら……」
 胸倉をつかむと、ぐいっと引き寄せ、一言ささやく。
「これ、脱いで下さらない?」

 文化祭当日。
 校内は朝からにぎわっていた。ここぞとばかりに青春を謳歌する学生たちが、廊下を行き交う。なかでもメインの仮装大会のため、気合の入ったコスプレが目立つ。
 様々な衣装に身を包んだ生徒たちの間を、おもむろに進む男がいた。
 長いマントと、白い仮面。いかにも不審な出で立ちを、気に留める者はいなかった。
 普段は多少なりとも変装するのが、彼の流儀だ。しかし、今日は怪人としての正装で堂々と振る舞ってこそ、人の目を欺くことができる。
 公立校は警備が甘い。まして文化祭ともなれば、誰でも自由に出入りできる。
 大手を振って正門をくぐり、校舎への侵入を成功させた彼には、入り口でパンフレットを受け取る余裕さえあった。
(愚かな北高め。『地元の皆さまと共に成長する、地域に開かれた高校』との標榜が、裏目に出たな)
 奇妙な仮面の下で、アリスさらいはほくそ笑んだ。
 仮装の群れに紛れた彼は、難なく図書室へ忍び込む。閉めきられた室内は照明が落とされ、静まり返っている。
 図書委員どもは、チョコバナナや女装喫茶など、クラスの模擬店にかまけている頃だ。自分たちのアリスが危機に瀕していることなど、夢にも思うまい。
(帰りには二年B組のタピオカ屋に寄って、ココナッツミルクティーでもいただこうか)
 そんな計画を立てながら、靴音を響かせ、書庫へと踏み入る怪人。
 お目当ての『アリス物語』は、奥の書棚に差さっていた。あまりの無防備さに、思わず笑いがこみ上げる。悠々と歩を進める中、ふと、傍らの通路に目を止めた。
 椅子の上に、別のアリスが置いてある。
(ついでにこっちも頂戴しようか)
 怪人が手を伸ばした、その時。
 アリスが目を見開いた。ぎょっ、とのけぞる怪人に向け、
「公立校なめんなァァァッ!」
 決死の叫びと共に拳を突き出したのは、佐藤副委員長だ。
 アリスに扮した彼の右腕が、怪人の下腹をえぐる。強烈なボディーブローを食らったアリスさらいは、はるか後方へ吹き飛ぶ。書棚に激突した怪人に、百科事典の雪崩が降りかかる。
 舞い上がる粉塵の彼方に敵をにらみながら、副委員長は、数時間前のことを思い出していた。
「ちょっ……、さすがにバレるんじゃないですか?」

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