小説

『アリス盗り』淡島間(『不思議の国のアリス』)

 それにも関わらず、警察は奴の犯行を黙認してきた。被害額が軽微であるとか、茶番につき合うのがバカらしいとか、もっともらしい理由を並べては、この件から距離を置く。警察は奴と癒着している、という噂も、ないことはない。
 だが、図書委員会にとって、所有するアリスを盗まれることは、被害額以上の屈辱である。とりわけ責任ある委員長ともなれば、他校からの嘲笑にさらされ、「負け委員長」として白い目で見られることは、必定であった。
 図書委員たちは、自分たちのアリスを、そして、小林委員長の名誉を守るため、団結を誓った。暇さえあれば図書室に詰め合い、他校での被害を分析した。予想される敵の行動パターンを洗い出し、傾向と対策に万全を期した。
「皆さん、もう一度、我々が所有するアリスについて、認識を共有しておきましょう」
 ある日、小林委員長はカウンターの前に立って、委員たちに呼びかけた。
「現在、我が校には三冊のアリスが存在します。開架に二冊と、」
 委員長は手にした本を掲げた。委員たちは、食い入るように目を注ぐ。
「書庫に保管されている『アリス物語』。これは、芥川龍之介と菊池寛の共訳です。翻訳の途中で芥川が死去したため、菊池が引き継いだ、とのことですが」
 わずかに声を潜め、彼女は続ける。
「恐らく、奴が狙っているのは、この初版本でしょう。流通量が多いため、ネットで探せば、入手は難しくありません。しかし、奴の歪んだ性格から考えて、学校の図書室から盗み出すことに悦びを見出すのは、容易に想像できることです」
 委員たちは、アリスさらいの変態性に、改めて怒りを覚えた。
「そうだ、生徒会に応援を頼んだらどうでしょう? 図書室の警備を強化してもらうとか」
 一年生から出た提案を、佐藤副委員長は、片手を挙げて制する。
「いや、それはムリだ。生徒会長の茂木さんは、我が図書委員会を敵視している」
「なぜ!?」
「『会長は図書委員長の次に可愛い』と保健委員長に言われたのを、根に持っているらしい」
「私恨かよッ!」
一年生は頭を抱え、力なくつぶやいた。
「うちじゃなくて、保健委員会を恨めよ……」
 生徒会の協力を仰げないと知り、委員たちはうなだれた。絶望的な空気が場を覆う。
 重い沈黙を振り払うように、小林委員長の声が響く。
「大丈夫です! いざとなれば、私が泊まりがけてでも、奴を追い払ってみせます。だから皆さんは、いつも通りの学校生活を、……」
 明るい声を作りながらも、その横顔に、疲労と焦燥の色が浮かぶのを、副委員長は見逃さなかった。

 委員長は日に日に憔悴していった。

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