小説

『アリス盗り』淡島間(『不思議の国のアリス』)

 結い上げる気力もないのか、腰まで伸びた髪を垂らし、廊下をさまよう後ろ姿には、鬼気迫るものがあった。脚がもつれるのを見かねて傍へ寄れば、不穏な言葉が唇から漏れている。
「許さない……今度こそ、絶対に……」
 これはまずい、と委員たちは目くばせをした。だが、進言を試みても、委員長は聞く耳を持たない。奴との決戦に向け、神経をすり減らす彼女は、仲間さえ眼中にないようだった。
 委員たちは、一人、また一人と、図書室から離れていく。文化祭の準備で忙しいから、と口ごもるが、その実、痛ましい委員長を見ていられなくなったのである。
 図書委員会の離散を、佐藤副委員長は、苦々しい思いで見ていた。

 ある放課後。
 図書室に赴いた副委員長は、夕闇の中で、一人たたずむ人影を見つけた。
 窓際に立つ彼女の表情は、夕日で逆光となり、分からない。ただ、
「食い止める……私が、何としてでも……」
 と、うわ言のように繰り返すのが聞こえる。
 ふいに、細い身体がかしげ、前方に倒れた。
「委員長!」
 間一髪で抱きとめる副委員長。のぞき込んだ顔は、人形のように生気がない。
 もはや限界だった。肩をつかむと、噛みつく勢いで叱りつける。
「いい加減にして下さい! どうして一人で抱え込むんですかッ!」 
 何度か揺さぶると、小林委員長は、ようやく顔を上げた。義眼のように無感動な瞳が、彼を捉える。
「……あなたたちに、私と同じ苦しみを、背負わせたくないのです」
 ハッ、と息を飲む副委員長。
「……では、噂は本当なんですね」
 小林委員長は、遠い目をした。
「そう。かつて、私は小学校の図書委員長として、奴と対峙したことがあります。……完全な敗北でした。所蔵のアリスを全て盗まれた上に、奴の呪いに侵された私は、卒業するまでに、数々の辱めを受けました」
「それって……」
 暗い瞳は、もはや何も映してはいなかった。幼い日の屈辱を反芻しているのだろう。
「授業中、先生のことを『お母さん』と呼んでしまったり、合唱祭の当日、私だけリコーダーを忘れたり……」
「……ッ!」
 副委員長は思わず顔を背けた。学校生活において、これ以上の悲劇があるだろうか。
 アリスさらい――何と冷酷で、残忍な怪人だろう……。
「あの日から、私は奴への復讐を誓いました。図書委員長なんていう、一銭の得にもならない役職を買って出たのも、全てはこのためなのですよ」
 彼女の執念の深さは分かった。しかし、自分だって覚悟の上でここにいるのだ。
 佐藤副委員長は、小林委員長の瞳を真っすぐに見すえた。
「僕にできることなら、何でもやります。だから、」

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