小説

『レモン味の』斉藤高谷(『檸檬』)

 ついにやってしまった。
 これまで何度も進もうとしては思いとどまり、躊躇したことを後悔しては「次こそは」と腹をくくって、また同じことを繰り返してきた。果てのない円の中をぐるぐると、何度も何度も何度も巡ってきた。
 だが、それも今日で終わりだ。わたしは無限に続くループから出たのだ。最後は半ば勢い任せではあったけど。
 昼休みはあと八分。丸山はまだどこかに行っている。
 前の席の机に置いたアメの小袋を見つめながら、わたしは胸の中で念じる。早く戻ってこい。
 席に戻ってきた丸山が、机に置かれたアメを見つける。手に取る。こちらを向く。「これ、梶井さんが?」「そうだよ」「懐かしいなあ。前にもこういうのあったよね?」「そうそう、覚えてる? 実はあの時は――」何度もおこなってきたシミュレート。完璧だ。
 表情も作っておかなければ。こちらの緊張は相手にも伝わる。消すのは無理だとしても、外に出ないよう繕うのは可能だ。
 笑え、モトコ。笑うんだ。選挙の時を思い出せ。笑え。笑え。笑え。

   ◆

 ただならぬ雰囲気なのはわかった。
 後ろの席の梶井さんは昔から男女問わず人気があり、高校に入ってからはそれに拍車が掛かって生徒会長にまでなった。向こうはたぶん、僕のことなど眼中にないと思うけど、僕は彼女のことを尊敬のこもった眼差しで見てきた。地を這う虫が、燦々と輝く太陽を見上げるように。
 その太陽が、不敵な笑みを浮かべている。
 生徒会長をやるような人が何を考えているかなんて想像もできない。何か、僕には及びもつかないような計画を練っているのかもしれない。それはいい。困るのは、それが僕の席の真後ろで行われているということだ。近づきがたい。
 けど、僕はもう自分の席に向かって歩き出している。ぼんやり考えごとをしていたのが悪いんだ。僕はいつだって、大事な時にぼんやりしていて、災難に見舞われる。
 席に近づく。通り過ぎても不自然だ。座るしかない。
 机に何か置いてある。アメの小袋だ。
 黄色い、レモン味のアメの。

   ◆

 顔の筋肉はほぐそうとすればするほど硬直する。生徒会長選挙に立候補した時だってこんなことにはならなかった。
 いかん。気持ちが負けている。緊張するのは状況を怖れているからだ。わたしは何も怖れてなどいない。むしろこの状況を楽しんでいるのだ。そう、楽しんでいる。
 あのアメを丸山が見つけることを考えただけで胸が――
 見えない。

1 2 3 4 5