ある時代、ある場所に小さな島があった。謎の古代遺跡があるでもなく、噴火寸前の火山があるわけでもない。大したものは何もない、移住してきた人々が創り上げた漁村があるだけのちっぽけな島である。海の幸に恵まれ、住民たちは特に不自由なく暮らしていた。
しかし、その日常はある年を境に唐突に崩れ去った。一人の漁師が島から少し離れた沖まで船を出したところ、巨大な青い水龍と遭遇した。漁師は驚き、混乱しながらも漁に使う銛を水龍目がけて投げた。銛は水龍の左目に命中したものの、刺された痛みと怒りで水龍は激しく暴れ、海は嵐のごとく荒れた。漁師は奇跡的に島まで戻れたが、その一件以来、水龍は島から出ようとする船を次々と襲うようになり、大勢の人間が犠牲となった。
困り果てた村人は、村一番の祈祷師に助言を求めた。祈祷師はこう告げた。
「黒い髪に黒い瞳を持った少年が来年の春に生まれる。彼が十六歳となった時、水龍を討ち取るだろう」
村人たちは祈祷師の言葉を信じて、少年が生まれるのを待った。そして迎えた春に、祈祷師の預言通り少年は生まれた。偶然にも、最初に水龍を傷つけた漁師の子孫であったらしく、その漁師に顔がそっくりであった。
少年は「ルグレ」と名付けられ、水龍を倒すための訓練を受けながらも大切に育てられてきた。
時は経ち、ルグレは心優しく見目麗しい少年に育った。十六歳の誕生日が近づき、ついに水龍に立ち向かうための準備も進められてきた。ルグレは、生まれた時から水龍を倒すように期待を込められてきたので、何としても成功させなくてはならないと思っていた。しかし彼はまだ子供だ。島全体の人間の命を預けられているような状態に、精神的な圧力も感じており、焦燥感すら抱いていた。焦りからだろうか、彼はある日、空の天気が優れないというのに一人で海の偵察に向かってしまった。ルグレが沖まで出たころには空は暗雲で黒く染まり、海は荒れ、波は山のように高くなっていた。
(しまった、失敗した。こんなことになるなら海に出るんじゃなかった)
彼がそう後悔した時、船が大きく揺れ動く。その時、海の水が大きく盛り上がったかと思うと、ざばざばと音を立てて何かがうごめいた。青い鱗をぎらぎら光らせ、左目が潰れている「それ」は、大勢の人々を葬った怪物、水龍であった。
「……水龍! こんな時に!」
ルグレは咄嗟に手元に武器になるものは無いかと探った。しかし、先ほど船が揺れ動いたときに持ってきていた道具はすべて海に流されてしまったようだ。今の彼は丸腰なうえに無力だ、もうどうすることも出来ない。それでもルグレは諦めずに、せめて水龍から少しでも距離を離そうと思い、櫂を握った。
しかしその瞬間、より一層高い波が船を襲ったかと思うと、彼の身体は宙に舞った。船から投げ出されたのだと頭で理解した時にはもう遅い。ルグレはそのまま海へと真っ逆さまに落ちる。彼の肺いっぱいに海水が入り込み、ルグレはもがく間もなく意識を手放した。