真夏の夕暮れの光が、田畑のあぜ道を歩く男の肌を焼いた。青いポロシャツとカーキ色のチノパンを履いた彼は額を伝う汗を手の甲で拭う。額を拭ったその手には飾り気のない指輪が、光を受けてさみしげにきらめいていた。
彼がこの村を訪れたのは、つい最近死んだ妻を偲んでのことだった。都内から電車で三時間かかる駅まで行き、そこから二時間ほどバスに揺られてようやく辿り着けるような、まさに陸の孤島と呼ぶにふさわしい山奥の村が妻の故郷だったのだ。
「なんにもないところよ。周りを見てもずーっとずーっと田んぼなの。コンビニもないし、夏になったらカエルが合唱してるし、イノシシなんかも出てくるし。学生の頃は退屈で仕方なかったわ」
彼女は自分の生まれた土地のことをあきれた口調でそう語ったが、男はわりあいにこの村のことが好きだった。その場所に彼女がいたというだけで、舗装されていない土の道も、水田と畑しか見えない風景も、夜に聞こえるムクドリの声も、全てが淡く輝いて見えた。
男は妻の生家への道を歩きながら、妻が奪われた日のことを思い出す。四十代も半ばを過ぎたとはいえまだまだ元気だった彼女は、酒に酔った男の車に轢かれてこの世を去っていった。相手の犯した罪の重大さ故に多額の賠償金が定められ、彼女にかけていた保険金もすぐに下りたが、それは男と妻の両親にとって何の慰めにもなりはしない。金では決して埋められない穴が開いているからこそ、気の遠くなるような時間をかけて妻の故郷に来ている。それだけのことだった。
「ごめんください」
「やあ、望人くん。よく来たね」
男が声を上げて妻の生家の引き戸を叩けば、義理の父は戸を開けて彼を歓迎した。義理の母もその隣に座り、冷蔵庫から持ってきた麦茶のポットからグラスに茶を注いでいる。男はグラスの茶を飲み干すと靴を脱ぎ、手土産の紙袋を渡した。
「すみません、急にお邪魔させてもらって。お口に合うか分かりませんが、お義父さんとお義母さんで召し上がってください」
「まあ、そんな。気を遣わなくても」
男は曖昧な笑みを浮かべて紙袋の取っ手を義母の手に握らせる。確かに妻の葬式で義父に「私も幸恵も望人くんは本当の息子だと思ってるから、気を遣わずにいつでも会いにおいで」と言われてはいたものの、妻が両親のことを大切にしているのを知っていればこそ、男は二人をないがしろにすることはできなかった。
「君が来るって聞いてから、幸恵は大張り切りでね。望人くんが来るからとんかつにしようだとか、畑の野菜で煮つけを作っておかないとって言い出して、とんでもない量のご飯ができてしまったよ」
「あら、だって、望人さんの家からここまでは五時間もかかるのよ。そこまでして来てくれるんなら、おいしいものを作らないと」