怒った瑞希は怖い。いつもより静かになるのが怖い。
大声で叫ばれた方がまし。無言で向けられた背中から立ち上る怒りのオーラに怖気づかない奴がいたら俺は心から尊敬する。
「悪いと思ってるって、本当にごめん」
「何で私があんたの後始末しないといけないわけ?」
「だってさ、他に頼める相手なんている?」
瑞希は盛大に溜息を吐くと、タブレット端末の画面に触れた。
いつだって、瑞希の部屋は綺麗に片付いている。余計な物が一切ない。女子高生の部屋なのに。ぬいぐるみでも置けば? と俺が言っても、瑞希は鼻で笑うだけ。
服も地味だし、喋り方も素っ気ない。化粧なんてするわけない。座右の銘は質素倹約。吉宗時代の幕府の御家人か。中学時代、ご家老なんて渋いあだ名を付けられるわけだ。
お手製弁当の色合いも暗い。全体的に茶色い。仕事で忙しい両親を手伝って、瑞希は小学生の頃から食事の支度をしていたベテランシェフだ。ただ見た目より味重視だから、料理に若さの欠片もない。
でも、俺はそんな瑞希が好きだ。女の子としてじゃなく、友達として。
恋愛感情がないのはお互い様。間に家を三軒挟んで暮らす瑞希が俺を男として見たことは、生まれてこの方十七年、一度もない。一度もだ。だから、俺がベッドに座っても瑞希は平然としている。
「ああ、もう本当に面倒臭い」
低い声で罵りながら、瑞希はファイルを開いた。
右から左へ流れて行くのは俺の画像だ。
「あんた綺麗な顔してる」
「突然、何?」
「すぐ側に欠点のない完璧な顔があるってよくないね。審美眼が厳しくなる」
小さな頃から、周りの大人も子供も俺の顔を誉めていた。だけど、瑞希はいつだって俺の見た目に無関心だった。
「悪いことばかりでもないけどさ。見てくれのいい人間は中身も最高。そんな馬鹿げた幻想、私にはないし」
「それって、俺がクズだってこと?」
「多岐穂の性格が壊滅的に悪いって言ってるんじゃないよ。あんたはただ底抜けに能天気なだけ。いつまでも小学生男子みたいなだけ」
まったく、瑞希には遠慮ってものがない。
「折角、告白されて付き合ったって恋愛がわからない、なんて相手に失礼なことばっかり言うし」
昔の俺は馬鹿だった。今ならわかる。一応恋人だった子達がしばらくすると友達に戻ろうと言った気持ちが。
「高校の友達でもさ、あんたを紹介してとか頼んで来る子がいるんだ。だけど、私は今までの多岐穂の行いを知ってるでしょ? そんなことできるわけないよ。なのに、断ったら私があんたのこと好きだって誤解されたんだよ? 迷惑。私と多岐穂は幼馴染みだって説明してもさ、身近にいすぎて恋愛感情に気付いてないんじゃない、ある日突然自覚したりするんじゃない、なんて言われたんだよ?」
「ないない。俺と瑞希に限ってそれはない」
そこで瑞希は急に黙った。タブレットの画面に指を滑らせて、画像の自動再生を止めた。
一枚の写真が画面一杯に拡大される。
「好きな人ができたって、あんたが言い出した時はびっくりした」
「嘘だ。瑞希、全然動揺してなかっただろ」
「普通、驚くよ。でも、納得もした」
例の写真だ。
素人、つまり瑞希が撮った。被写体は写されたことを知らない。無防備な横顔を晒している。
「これ、あんたに送るんじゃなかった」
俺と瑞希が子供の頃から当然のように応援している地元のサッカークラブの試合で撮った写真。
「無理ないよ。綺麗だもん。異常に綺麗だもん。好きになったっておかしくないよ」