小説

『雪女』宮本康世(『雪女』)

 コツコツコツと、祖父が叩く槌の音と、氷の削れる小さな音だけが、この森閑とした納屋のなかで響いていた。
 僕は祖父の背中とその手つき、そして刻一刻と姿を露わにしていく彼女を交互に見つめていた。時折、かじかむ手を口元に持ってきては息をはいて寒さをしのいだ。
 納屋の外では降り続く雪が吹雪きだしたようで、時折強い風の音がしている。
 祖父は、その音も聞こえていないかのように、ひたすら槌を打ち、時々手を止めては彼女を見つめ、また余計な氷を削りとっていった。
 祖父は普段は田畑を耕しているが、冬になると氷の彫刻をつくった。その腕前は近隣でも有名で、どこからか頼まれては、作業場の納屋で鯉や鷲などさまざまな動物を彫る。
 しかし、冬が深まると、決まってつくるものがあった。
それは、髪の長い美しい女の彫像で、必ず雪の日に彫りはじめた。誰かに頼まれるものではないようだった。
 僕はほとんど毎年、傍らでその様子を見つめ続けてきた。子供の頃は、祖父のその職人技に憧れを抱き、弟子にでもなった気分で追い回していたが、今は、彼女を彫る祖父の姿に、不自然な執着心を感じるようになっていた。
 作業をする祖父のそばでは、余計な口をきかないという暗黙の了解がある。
 しかし、その夜の僕は、何か言葉を掛けずにいられない気持ちになっていた。
槌を打ちつける祖父は、何かに急かされるようであり、背中からは湯気が立ち上りそうなほどの熱気と、鬼気としたものが漂っている。
 僕は、「おじい」と呼びかけた。そしてこれまで訊いたことのない問いを続けた。
「それは誰なん」
 ピタリと槌の音は止み、怖いほどの沈黙が納屋を包んだ。僕は、咄嗟にまずいことをしたと思った。
 しかし、それは一瞬のことで、間をおいて返ってきた祖父の言葉は、
「お前、いくつになったんな」
という、なんとも力の抜けたものだった。
 「・・・19歳やけど」
 「そうか、もうそんな歳か」
 そう言うと祖父は少し彫刻を見上げ、また彫りはじめた。僕は、答えたくないのだと解し、それきり、また口をつぐんだ。
 槌の音はさっきよりも更に忙しなく、間断なく続き、しばらく経って、突然止んだ。終わったのだ。僕はそっと祖父の横顔を覗いたが、いつも通りの静かな顔つきだったのでほっとした。

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