小説

『枯れ木の花』℃(『花咲かじいさん』)

 電話してきた声は、受話器の向こうでクスクスクスと笑っていた。
 瞬時に、私は確信する。これは、例のイタズラに違いない。十二月に入って、これで四件目だ。
 表示されている電話番号は、商店街の公衆電話から。
 相手が一言も用件を口にしていないのに、
「すぐ行くんで」
 私は電話を切る。
 また現れたか。あの爺さん。
 必要と思われる道具を両手に持てるだけ持つと、公園の詰所を飛び出した。ここ数日は路面が凍結するほど寒かったのに、今日はぽかぽか温かい。
 園内の移動には自転車かスクーターを使うことが多いが、今回は必要なかった。詰所から歩いて五分の場所に西門はある。そこを抜ければ商店街だ。荷物があるとはいえ、走れば三分もかからない。
 西門の外では、大勢の人だかりができていた。
 輪の中央には、老人が一人。黒い忍者装束に白い足袋という格好で、歩道に大きな絵を描いている。
 爺さんは私を見るなり、ニヤリと笑った。腹の立つ笑い方だが、今は手が出せない。そういう取り決めになっている。
 私の勤める清掃会社が、市から依頼を受けたのは三ヵ月前のこと。
 それは、ちょっと変わった依頼だった。
 公園及び、その周辺の落書きを消して欲しい。
 ただし、落書きは完成してから消すこと。絶対に途中で消してはならないし、絵を描いている途中で妨げてもならない。
 そして、この依頼内容については、どこで耳にしたのか、あの爺さんも知っている。
 だから、こうして我が物顔で落書きを続けられるのだった。
 私は道具一式を足元に置く。
「いつも大変ね」
 ペットショップのおばさんがクスクスクスと笑いながら、私に話しかけてきた。
「あ、先ほどはどうも」
 私は会釈する。彼女が今回の通報者だ。商店街に限らず、この近辺では、爺さんの落書きを発見した場合、私に連絡するようお願いしてあった。
 野次馬たちの中に目を走らせる。誰もが爺さんの路上落書きショーを眺めながら、あれこれ批評し合っていた。爺さんが全く気にしないので、みんな好き勝手なことを言っている。
 どうやら、私の探している相手はまだ現場に到着していないらしい。
 すぐさま電話をかけると、通話中・・・・・・
 と思いきや、隣ではペットショップのおばさんが、
「オカモトさん、ちょっと遠方に外出中だったから、いつもより時間がかかりそうだって」
 自分の携帯電話を片手にウインクしてきた。
「・・・・・・ご協力ありがとうございます」
 でも、そういうことは、私が到着する前に済ませてくれていると、タイムロスが少なくてありがたいのだが。
 オカモトさんとは、市から依頼を受けた絵画鑑定士だ。爺さんの落書きに対して金額的な評価を下す。その結果次第で、消すか保存するかが決まる。
 この落書き爺さん、実はめちゃくちゃ有名な画家なのだ。
 できることなら全てを保存したいと市長は考えているらしいが、市の予算額にも限界がある。公共の道に描いてあるので、そのまま売りに出すこともできない。
 そこで、高い落書きから順番に残し、そうでないものは消すという取り決めになっていた。
 私は準備運動をしながら考え込む。
 そうか。オカモトさんは遅れてくるのか。

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