小説

『平成 牡丹燈籠』サクラギコウ(『怪談 牡丹燈籠』)



 「私はね、弟子は取らないことにしているんですよ」
 落語家の囃子亭菊輔は真っ赤なTシャツとジーパン姿で正座をしている若者に言った。
 昔から弟子は取らないと決めていた。還暦を過ぎ今更若者を育てる気もなかった。気苦労だけで何一ついいことはないからだ。たとえ素質のある者だったとしても、一人前にしたところで競争相手を増やすだけだと考えていた。
 秋山さんからの頼みだった。秋山さんは菊輔が落語だけでは食えない頃お世話になった人だ。食事をご馳走してもらったことは数えきれないほどある。菊輔の素質を信じ、諦めるなと言い続けてくれた心の恩人でもあった。
 その秋山さんから落語家希望の19歳の若者に会ってやってほしいと頼まれた。断り切れなかった。

 若者は萩原新二郎と名乗った。しかし名前以外をまったく話さない。黙って座っている。弟子入りをお願いするという雰囲気ではなかった。出された茶菓子と飲み物はあっという間に平らげた。
 無遠慮で礼儀を知らないと舌打ちしたい気持ちだった。落語家になりたいのかどうかも疑わしい。
 菊輔は最近よくテレビに出ている。落語の披露ではなくバラエティー番組への出演だが、姿を見ない日はないほどだ。この若者も落語家というよりテレビに出たいと思っているだけのように思えた。
 怒鳴って追い返したいところだが、間に入った秋山さんの手前それもできなかった。
「もっと若い噺家のところへ行ってごらんなさい」
 若者はウンともスンとも言わない。菊輔はイライラしてきた。これからテレビ局へ行かなくてはならない。バラエティー番組の収録があるのだ。
「だからね、いくら粘っても駄目だよ。私は引き受けないから!」
 菊輔がさっと腰を上げようとした時だった。
「断る!」
 若者が大きな声で言った。
「その返事、断る!」
 正座をしたままどうどうと言い放った。これは想像を超えた人種だと感じた。還暦過ぎの人間の手に負えるものではないと思った。

 菊輔はあるアイデアを思い付く。
「名は萩原新二郎と言ったね?」
 1週間で古典噺をひとつ覚えて来れるかと訊くと「できます!」と威勢のいい返事が返ってくる。
「牡丹燈籠」が噺せるようになったら弟子入りを考えてもよいと言った。もちろん出来が悪ければ諦めるんだよ。この世界甘いもんじゃないからね。と付け足すことも忘れなかった。

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