「タチバナトオルさんって言うのね。私はナミエっていうの、よろしく。東京の目黒区に住んでるの?いいなあ。」
「じゃあ、東京に引っ越したら?」
「それが出来ないの。私、高校卒業してすぐに前の夫と結婚して専業主婦になったから。働いたことがないのよ。」
ナミエがトオルの側に寄ると、無愛想な男がいきなり部屋に入ってきたがトオルの顔を見るなり無言で出ていった。
「あれは私のお父さん。建設現場で働いてるの。人嫌いで旅館のことは何もしないから特に気にしなくていいわ。」
ナミエはトオルに興味があるようで、東京の話をしろとせがんできたり、田舎の悪口を言ったりと、中々部屋から出て行かなかった。しかし、トオルもそんなナミエに嫌な気はしない。何より滝で見た恐ろしくも美しかったナミエの姿と、明るくよくしゃべる今の姿がトオルの心の隙間を埋めてくれるようで心地良かった。
「でも、ナミエさん。まだ若いでしょ?十分働けるよ。」
「じゃあ、トオルさんが雇ってよ。家に住ませてくれるなら、一日五百円でいいわ。」
「雇うって、何をしてくれるの?」
「トオルさんが今想像してるようなこと以外。簡単な掃除や料理なら出来るよ。」
「悪いけど他をあたって。間に合ってるから。」
「じゃあ、明日一日だけ雇ってよ。この辺りを案内してあげるから。」
結局、ナミエに押し切られる形でトオルは翌日の案内を依頼した。