小説

『伊勢志摩の人魚』伊藤東京(『人魚姫』)

 真っ暗だ。
 海底で岩の隙間を見ながら泳ぎ回っていると、急に体に感じていた水圧が無くなった。きらりと水中で何かが光り、目を凝らして見てみると、それは自分のヒレだった。足ひれじゃない。本物のヒレだ。
 両足が一つにくっついて、それを覆う鱗が微かに輝いている。私は人魚になった自分に気づいて、そのヒレで水面に向かって勢いよく泳いだ。
「ごぼっ、げぇっ、ごほっごほっ。」
「美波!良かった!良かった!」
 勢いよく咳き込み喉が痛い。鼻にまで水が入ってつんとした嫌な痛みがする。私を囲んでいた海女たちは皆安心したように胸を撫で下ろして頷き合っている。
「バカだね、あんた!一体何してたの?」
「ごめん。すみません。」
「今日はもう休みなさい。」
ベテラン海女の内の一人が言った。
「何か考え事してるでしょ。顔がぱっとしないじゃない。」
 それを聞いて、姉はそうなの?と聞くように私の顔を見た。
「生半可な状態で海に入ると危ないから、それが解決するまでは漁は休みなさい。」
「はい、すみません。」
 何かに悩んでいることを知られるだけじゃなく、そのせいで皆に迷惑をかけたことが恥ずかしかった。
 皆があわび漁をしている間、私は船頭とその漁師と共に漁船で待っていた。
 漁が終わって陸に戻った後、私たち海女は海女小屋に行ってウェットスーツを脱いだ。
 家に帰宅すると姉から連絡を受けて心配していた両親が待っていた。二人ともロビーの椅子に座っていて私の顔を見た途端、安堵に硬い表情が解けた。家族全員で抱きしめ合って、無事家に帰れたことを心から感謝した。
 

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