小説

『伊勢志摩の人魚』伊藤東京(『人魚姫』)

 わからない。親も姉も私の大学進学をサポートすると言っている。とてもありがたいことだ。大学に行って就職するほうが、海女のような危険で不安定な仕事よりずっと安定した生活を送れるだろう。もしかしたら将来、私の収入で親に仕送りをしてあげることが出来るかもしれない。
 大学進学後にあるかもしれない未来を思うと、海女をして家の旅館を手伝う今の生活で満足していて、それをずっと続けたいと思うことは何だか自己中心的な気がした。
「すぐに決まらなそうだね。来週の放課後、職員室でもう少し話そうか。」
「はい。すいません。」
「いや、大丈夫。今週じっくり考えてみて。」
 その週末、私は姉やベテラン海女と一緒に小さな漁船に乗って海の少し深いところでのあわび漁に参加させてもらった。
 ベテラン海女は潮流を見ながら船頭に漁場について話し合っている。その間私は頭までウェットスーツを被って髪の毛が全て隠れるように調整していた。漁場につくと船頭が船のエンジンを切って、波の音がよく聞こえるようになった。私は水中眼鏡を頭に付け、浮き輪を抱えてから姉の後に続いて飛び込んだ。
 熱い夏の中でウェットスーツを着ていたので、水の冷たさが気持ちよかった。水面に浮かぶ海女は浮き輪をビート版のように使って、船を中心に菊花火みたいに散らばる。各々あわび漁を始めたので私も海の中に潜った。
 岩の割れ目に向って潜っていき、あわびが隠れていないか探すがなかなか見つからない。岩の陰は暗く、その中から岩の模様に溶け込んでいるあわび貝を探すのは更に困難だった。見つけられないまま水面に戻り、呼吸を整えていると、他の海女たちが片手一杯にあわび貝を持って上がってくるのを見て実力差を知った。
 私もあわび貝を採りたくて、もう一度潜った。水圧が肺を圧迫するのを感じる。
 大学進学を蹴ってまで海女を続けても、他の海女より採れないんじゃ海女になる意味がない。
 足ひれを器用に使って海底に向って潜っていく。荒い岩肌に手をかけて隙間を除いた。

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