小説

『雪路の果てに』春比乃霞(『こんな晩、雪女、座敷わらし』(日本各地(こんな晩、雪女)、岩手県など(座敷わらし))

 静かな夜に、彼女の声は朗々と響く。
「見かねて、山の神様が私に声をかけてくれたんです。なぜ毎日ここに来るのかって。わけを話したら、私を人間の姿にしてくださると言ってくれました。その代わり、私は歳を取るようになりました。それも、人間よりずっとはやく」
「なんで、そんなことしたんだ」
 藤夫は、彼女を抱きしめる手に力をこめた。
「死ぬんだろ。それじゃ、今度は俺が悲しい」
「ごめんなさい。でも、大丈夫ですよ。私は、いなくなったりしませんから」
 顔に刻まれた皺を優しく増やして、彼女は微笑む。
「あなたはずっと一人だった。けれど私はそばにいたんです。私と過ごしてきた毎日が、これからもきっと、あなたのそばにあります」
 震える藤夫の手を、彼女の両手が包み込む。春の陽ざしのように、あたたかだった。

 ツユが死に、何年かが経った。
 彼女の墓のそばに植えた桜が、ようやく花を咲かせた。ささやかだが、山に溢れるどの花よりもみずみずしく、彼女の美しい姿を思い出す。
「やっと会えたな」
 藤夫は可憐な花に笑いかける。答えるように、桜は枝を震わせた。
 彼は相変わらず山奥で炭を焼いている。村人たちとの折り合いは悪いままだが、藤夫は町へ足しげく通うようになっていた。山をふたつ越えなければならないが、顔見知りができて、自分の身の回りで起こったこと、山での暮らしなど、面白おかしく話すのが好きになっていた。
 やがて藤夫も歳を取る。日々思い返すのは、ツユのこと。彼女がそばにいないことを悲しく思い、再び会えた日には何を話そうかと考え、温かな気持ちになる。
 雪の降り積もった寒い日、彼は布団の上で静かに一生を終えた。恨みから始まった彼の人生は、愛しい人との再会を希い閉じられた。そこには、一片の憎しみも介在する余地はない。
 次の春、ツユの墓のそばに植えた桜は、格別美しく咲いたという。

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