小説

『犬の兵隊さん』平井鮎香(『桃太郎』)

 「どんぶら子!どんぶら子!」
兵隊さんが名を呼びながら、けたたましい音を立てて戸を叩く。
朝っぱらのやかましさは大層迷惑なものだが、この不必要に感じる騒がしさは、自分の力を町民に誇示するためと、ちゃんと仕事やってます感を上官にアピールするための、いわゆる「ポーズ」であることを町民たちは知っていた。
自分を守るために、致し方なく立てる騒音は、この戦況で何か惨めさすら感じるものがあった。

 ぶら子が慌てて戸を開けると、仰々しいピンク色の兵隊服を纏った兵隊さんが大きな袋を持って立っていた。
「はい、どんぶら子でございます。兵隊さん、いかがなさりましたでしょうか」
「この家だけまだ米が納められていない。直ちに納めよ」
「兵隊さん、ご存知の通り、うちは夫がヤマの国に出兵しております。お国のために、シバ族を狩りにいっているのです。夫の稼ぎがなくなった今、我が家に米を買う金などありません」
「米がないのならば仕方ない。代わりにあるだけの食料をもらっていく」

 どんぶら子というのは、この家に住む女のれっきとした本名である。
姓はどん、名はぶら子。本人は「ぶら子」という名を大層気に入っていたが、その音の気持ちよさからか、この町に住む人々は皆、彼女のことをフルネームで「どんぶら子」と呼んだ。身内すらそう呼ぶのだから、もうどこまでが姓でどこからが名であるのか自分でも忘れ始めている。

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