小説

『しんしんと。』裏木戸夕暮(『三好達治詩集「測量船」より「雪」)

 スタッフが呟く。
「『あの人は死ぬまで、雪の美しさを信じていた』」
「『雪の怖さも残酷さも知らないまま、あの人は逝った』・・・高橋さんの言葉です」

 二人はチラリと、車椅子を見る。

「よくご主人の事を話して下さいました。私、本当の話だと信じてました」
「創作ノートだと思いますけど。日記にしては仕事のことが全然書いてありませんし。それとも、辛いことは書きたくなかったのか・・」

 あの人は本当に居たのか。その生まれ在所へ行ったのか。
 恋の縺れがあったのか。
 車椅子の中の虚な意識に答えはあるのだろうか。

「叔母は一人で祖母と、その後祖父を看取りました。外出もままならぬ生活の中で唯一の趣味が、小説や詩を書くことだったようです。応募した短歌が新聞に載ったことがありましてね。切り抜きを送ってくれました。たった一行をとても喜んでました」
 姪が顔を上げる。
「叔母に恋をする自由があったとしたら、学生の頃か、両親を看取った後。あのコートは何時買った、誰の物なのでしょう・・・」

 車椅子の後ろから白髪頭と細い手足が、置かれた人形のように伸びている。
 手には何かを持っている。

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