小説

『檸檬、その後』小川葵(『檸檬』(京都))

「くださいな」
 妻は手を差し出して言った。私は少し驚いて、妻から檸檬を隠した。
「あなたに頂いた料理本に、肉料理には檸檬を絞るとさっぱりすると書いてありました。そんな不届きな檸檬、二人で成敗しましょう。さあ」
 私は明日これをスケッチするのでと妻に渡すのを渋った。妻は不機嫌そうに溜息をついて台所に歩いていき、台所で何やらがさつに作業をし、なかなか居間に戻ってこなかった。私は檸檬を絵に描いたことはあっても、絞ったことはなかった。浅草辺りのカフエの紅茶に浮かんでいたのを齧ってみるとたいそう酸っぱく、それ以来、檸檬は私にとって果物ではあっても口に入れるものではなかった。しかしレモンエロウの丈の詰まった紡錘形の格好、どこかの異国の香りは、憧れを掻き立てた。檸檬は私にとって文化的なものだった。
 私はちゃぶ台の料理を眺めた。キャベツは萎びてくったりとしていた。つみ入れは煮詰まり茶色くなっていた。
 店の売れ残りだった『安価生活三百六十五日料理法』という料理本を、私は先日持ち帰って妻に渡していた。大変良い本だと妻は喜んだ。東京にいる頃は、夕食は行きつけの総菜屋で買ったり、外食に出たりとほとんど料理をしなかった妻だが、京都に越してからは東京のように店がないのもあって台所に立つようになった。何事も本から学ぶ性質の妻は料理本を冒頭から項を順にめくっては食卓に並べた。東京では料理本などの実用的な本は読むことなく、詩集や翻訳小説を読んでは私にも読むように勧めていたものだった。震災で大切にしていた書物や洋服は全て焼け、着の身着のままで京都に落ち延びてから、妻はめっきり所帯じみていた。昔は私が近所にスケッチに出掛ける際も、弁当を手に一緒について来たが、最近は家事仕事に没頭しているのだった。
 私はアングルの橙色の画集の上に置かれた檸檬のレモンエロウの鮮烈さに打たれ、絵に描きたいと思ったが、妻は生活の匂いが充満した狭い居間で仕事帰りのどてら姿の夫が手にした檸檬の黄色に鮮烈さを感じることはないようだった。

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