小説

『再×n配達』秦大地(『走れメロス』)

 死力を尽くして津島は走った。頭は空っぽだった。もう何ひとつ考えていなかった。ただ、わけのわからぬ大きな力に突き動かされて走った。最後の曲がり角の、消えかかった街灯がチカチカと瞬く脇をすり抜け、津島は疾風の如くアパート階段を駆け上がった。ちょうど津島の部屋の前で配達員が不在票を書いているところであった。間に合った。
「待ってください。津島は僕です」
と大声で言ったつもりだったが、息が上がっていて思うように声にならなかった。不思議そうにこちらを見つめる配達員に歩み寄り、もう一度「津島は僕です」と言うと、配達員は「ここにサインをお願いします」と言って小さなダンボールを差し出した。津島は震える手で自らの名を記した。
 津島は熱い抱擁を交わしたかった。やっと会えた。その思いで胸が一杯になっていた。何度も足を運ばせてしまった申し訳なさと、ようやく受け取れた喜びとが混じり合って、なんとも言えぬ昂揚を感じた。津島はゆっくりと顔を上げ、配達員の目を見ようとした。そして、この思いを言葉にして伝えようと口を開こうとしたのだが、配達員はサインを受け取ると、そそくさと帰っていってしまった。半開きの口で、津島は新小岩の安アパートの前に情けなく立ち尽くしていた。

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