小説

『甘露の泉』潮路奈和(『椎葉村平家落人伝説』(宮崎県椎葉村))

 滝沢の脳裏に酒を作る楓がよぎった。
 楓が酒作りをできないなら、どうなるかは想像に難くない。
「……酷い引き止め方しますよね」
「大人になれ」
そんなもの、なりたくはなかった。滝沢は胸の奥で毒づいた。

 *

 引っ越しの支度を終えると、滝沢は黒木酒造の前を歩いた。楓に挨拶する気はなかった。

 椎葉の物語には続きがある。根を下ろした武将は命令によって戻っていく。
 裏切ってまで添いたかった相手と離れる理由。それは相手が幸せでいる為だからではないか。滝沢はそんなことを思った。

「ほーたる来い。こっちの水はあーまいぞ…」  
 滝沢はそう口ずさむと、駅へと歩いていった。

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