小説

『山姥の晩餐』遊城日華莉(『三枚のお札』)

「アンタのせいで、タクローがいなくなったじゃねえか。アンタが産まれたせいでッ! 消えな、このクソガキゃあ」
 罵倒されてもなお、足に縋り付いてくる彼女の右手を母親は踏みつけた。叫ぶ彼女を見下ろして、母親は満ち足りた様子で笑った。嘲笑った。
「餞別だよ」
 ミルクの入った哺乳瓶を彼女の脇に置いて母親は一人、山から出ていった。
 それが母親と過ごした最後の記憶であり、山で暮らし始めた最初の記憶だ。あのときはまだ赤子だったが、老婆にとって母親との別れは、いくら擦っても剥がれ落ちることのない水垢のような思い出だった。だから老婆は覚えている。ずっとずっと覚えている。それでも年月を経ることで、今までの間、目を背けていられたというのに。
 少女はそんな老婆に対して、思い出の詰まったミルクを与えた。でも何十年も前のことだと、老婆も高を括っていた。時間はすべてを忘れさせてくれる。そう信じて。
 でもそれは迷信だった。少女がくれたミルクを飲んだ瞬間、哺乳瓶に入っていた、あの冷めきったミルクの味を老婆は思い出してしまった。
 そんな老婆の姿を目の当たりにして、少女は大きな勘違いをした。コンビニへと猛ダッシュをする。
 買ってきたミルクが腐っていたせいで、老婆は目からミルクの混じった涙を流し始めたと少女は勘違いをした。だから次はちゃんと賞味期限を確認してからミルクを買ってくるつもりだった。
 一方、少女が側を離れたすきに老婆は足元に水溜まりを作っていた。両目からしとしとと涙が出るわ、溢れ出るわ。洪水のように止めどなく流れ、ミルク色の水溜まりを足元に作り始めたのだ。
 老婆が目の下を拭うと、顔の皮膚がボコッと凹んだ。もう一度触ると、今度はもっと奥深くまで指が入っていった。皮膚がぶよぶよと湾曲し始めた。頭部が軽くなった気がする。体付きもどういうわけか、薄っぺらくなったみたいだ。

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