小説

『星のブランコ』香久山ゆみ(『羽衣伝説』(大阪))

 力強い声で旦那さんを促す。旦那さんがぱっと顔を上げる。礼を述べて、再出発した二人の後ろ姿を見送った。微笑ましいご夫婦だ。私達もあんな風に年を重ねたかった。
 けれど、だめだ。
 羽衣を奪われたのは私だけではない。私もまた、夫を自分に縛りつけようとしたのだ。結婚後、夫が会社の同僚と浮気しているのを知った。知った時にはすでに夫婦の関係は破綻していた。いや、はなから。
 子供ができれば夫を自分の元に引き留めておけると思った。けれど、かろうじて婚姻関係を継続しているだけで、夫婦関係はもう元に戻らなかった。
 地図を頼りに整備された山道を進む。なのに、いっこう山頂に辿り着かない。60ものピークがあるはずなのに。
 何度か同じ場所を行ったりきたりして、ようやく脇道に山頂へ至るルートを見つける。整備されておらずなかなか険しい。けれど、進むとじきに一つ目のピークを見つけた。標高266メートル、最高峰ではないけれどなかなかの景色だ。他に登山客もおらず、私ひとり山頂に立つ。大きく息を吸う。瞬間、風が吹き木々を揺らす。黄金の葉が宙に舞うさまは、まるで星が降るようだ。久々に見上げた空は抜けるように青い。
道は見つけた。このルートを進めばいくつかのピークに至るだろう。けれど、秋の日は早く、もう太陽は傾きかけている。下山することにした。
失ったものは、天女のように見つけたからと簡単に取り戻せるものではない。一つひとつしっかりと自分の足で踏みしめていくしかない。大丈夫、ゆっくりでも一歩ずつ進めば必ず目的地に至るはずだ。
 流れる天の川を自分の足で越えて、駅に至る。ちょうどホームに入ってきた電車に飛び乗る。帰ろう、息子が待っている。明日が、待っている。

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