小説

『星のブランコ』香久山ゆみ(『羽衣伝説』(大阪))

 収入を失い、自信を失い……。そうやって、いつの間にか私は自身の羽衣を奪われた。どこにも逃げられないように。
 自ら選んだはずの生活。朝、食事の支度をして子供を送り出し、掃除、洗濯、点け放しのテレビ、子供が留守のうちにあれこれ片付けて、夕飯の献立を考え、買い物と下準備を済ませる。子供を迎えに行き、公園で遊ばせ、帰宅して子供番組を観ている間に荷物を片付け、連絡帳をチェックして、夕飯の準備をする。帰るか分からぬ夫の分も。落ち着きない息子に食事を与え、風呂に入れ、絵本を読んで寝かしつけ。眠ったところでようやく食器を片付けて、明日の登園準備をして……。何もしてないのに、気付けば一日が終わっている。愛児とともにいるというのに、どこか息苦しさを感じてしまう日常。日々の中のどこにも私がいないからだ。羽衣を失った私はまるで籠の中の鳥。
 星のブランコを抜けて、ひとり山道を歩く。
 しばらく進んだ先の分岐のベンチに老夫婦が座っている。
「すみません、星のブランコまではまだ距離がありますか?」
 旦那さんに話し掛けられる。
「うーん、そうですね。結構……、10分以上は登りますね」
「ああ、そうですか……」
 旦那さんはがっくり肩を落とす。奥さんはじっと黙ってやりとりを見つめる。
「いやね、嫁さんに星のブランコの紅葉を見せてやりたかったんだけど、想像していたより歩かなきゃなんなかったから、嫁さんバテちゃって。悪いことしたよ。遠いのならもう引き返そうかなと思ってね」
 旦那さんは恥ずかしそうにそう言った。
「いや、大丈夫ですよ。ゆっくり休み休み行けば辿り着きますよ。ほら、吊橋もうそこに見えてますから! 絶景なんでぜひ、いらしてください!」
 ここまで来て引き返すなんてもったいない。私が懸命に励ますも、旦那さんは「うーん」と唸っている。と、奥さんがすっと立ち上がった。
「さ、ゆっくり行きましょ!」

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